【詩】嘔吐

ずっとちょっと吐きそう
スッキリトイレでおえーっと
吐き出せてしまえば楽なのに
それをできるほど ではなくて
けれど気持ちが悪い ことは確かで
できることといえばちょっと態勢を変えて気を紛らわせたり
違うことに意識を向けて 気持ちの悪さを意識しないようにすること

それもあまり効果はなくて
ずっとちょっと気持ちが悪い

吐き出せるものがあるのに 
それが何なのかわからないで
ただそこにはある気持ち悪さは確か

吐き出すべきものがあるのに
それがうまくでてこなくて
喉の奥 心の深く詰まってる
とどのつまり 行き止まり

もっとちゃんと言葉で示せたら
きっとたぶん歩いていける
それでもちょっと気持ち悪い
なにもかもがうまくいかない
とにもかくにも立ち往生

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サルトルの『嘔吐』は、実存的な存在についてのものでした。タイトルはそこからのインスピレーションです。
村上春樹の『ダンスダンスダンス』で、少女が気持ち悪いのに吐けなくて、その状態がキツいよね、みたいなシーンがあったと思うのですが、それが妙に印象に残っています。
吐きたいように吐けたら、泣きたいように泣けたら、生きたいように生きれたなら、それはそれは楽なのだろうな。
でも、それは人間らしくはないし…うーむ。
そのような状態のなかで、存在を続けるということがどういうことなのか。
自分を含めて、自分の周り全てのものに嫌悪を感じるし、吐き気がする時があります。
その吐き気がスッキリする時がくるのは、死ぬまでないのかも知れません。
しかし、それでもその状態のまま歩んでいく、あるいは歩めなくても存在を続けることが大事かことなのかも知れないと感じています。

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