ヨガ修行とグルの危険性

オウム真理教のドキュメンタリや討論番組を観ていた。その中に麻原彰晃の説法も幾つかあったが、割とまともな事も言っている。五体投地はゾクチェンやチベット密教でも実践されている方法だし、修行で霊性を高める事で人類を救済できるというのもあながち間違いではない(証明するのは難しいが)。オウム真理教の異常性としてマスコミがクローズアップするものの中には正しい行法や教えも混ざっている。無差別テロリスト集団ではない、まともな宗教団体も多く存在する。それらの一般的な行法や教えとオウムのそれとを1つ1つ比較する手間をかければ、何が普遍的かつ共通で、何が異常なのかはっきり分かるはずである。黒なら全部黒、白なら全部白というものの捉え方は思考停止以外の何者でもない。

例えば久米宏のニュースでは、村井の愛読書であるカモメのジョナサンが紹介され、翻訳者の五木寛之が抱いた違和感(危機感)について語られていた。物質主義に本質的な価値はなく、生存競争に勝つよりも大切な、高い価値が存在しているという考え方は実際正しい。生存競争に勝つことだけが唯一の価値となった時に、社会や人間の心に歪みが生じるのである。なぜエリートが騙されて道を外してしまったのかとよく言われるが、現代社会に疑問を持ち、何かしらの行動を起こしている時点で彼らの方が精神的には進化しているのだ。ただ間違った師を選んでしまった事が悲劇である。超能力開発や空中浮揚などの利己的/現世的利益を全面に出して勧誘しているような団体は確実に黒である。超能力や空中浮揚が嘘だからではない。それが修行の本質的な目的ではないからである。修行の本来の目的は、自らが精神的に進化すること、他人の進化を助けること、世の中から苦しみをなくすことである。その軸がぶれている時点で、自分の選択が間違っていた事を認める勇気を持つべきだ。例えそれで自分の命を落とす事になったとしても。出家する時に一度全人生を捨てているのだから、なぜ自分の肉体ごときがそんなにも惜しいのか疑問である。

麻原彰晃率いるオウム真理教信者による、生物科学兵器を用いた無差別テロでの死亡者と被害者の数は数十人とか数千人規模である。ヒトラー率いるナチス・ドイツの強制収容所で、毒ガスによって殺されたユダヤ人の数は数万人規模と言われている。広島・長崎での原爆投下では数十万人の死亡者・被害者が出ているが、その作戦実行を承認したのがトルーマン大統領、広島での作戦指揮と爆撃手(実際の投下を行うの)がティベッツとフィアビー、長崎ではスウィーニーとビーハンという人物であった事を知る日本人は少ないだろう。この4人の中で日本に対する謝意を公にしたのはビーハンだけである。軍人には立場があるので本音と建前は違っているかも知れない。作戦に参加した兵士の中にはPTSDで長期入院した者もいる。8月6日はビーハンの誕生日でもあった。ちなみにその日の第一目標は九州の小倉市であったが、視界不良や迎撃のため長崎に変更された。カルマを左右するのはわずかな要因の差でしかない。国内のみならず世界的にも麻原彰晃やヒトラーは悪の権化として描かれる事が多いが、人的被害で比較すればトルーマンの1/10から1/100である。トルーマンらが同様の批判的視点で議論されないのは立場が異なるからだ。麻原の場合は国家に対する反逆であり、ヒトラーは連合国に対する反逆だ。日本は連合国に降伏し、敗戦したので積極的に連合国を批判しない。例えその道徳的罪が10倍から100倍であったとしても。ついでに言えば日本は自己批判もしない。

オウム真理教による一連のテロ事件や自然災害を含む多くの人的被害は、カルマの空気弁である。カルマの圧力が一定以上に高まった時、リピタカが弁を開放する。過去世からのカルマであれば、どんなに正しい生き方をしていようとも、圧力開放のタイミングに居合わせてしまうのは避けようがない。生まれる前からそれが決まっているのだから。一番の悲劇は、現代社会に疑問を持ち、そもそも人間として生きる事の意味を探し求めている若者達を受け入れられる器が、彼らの身近に存在していない事である。あるいは彼らの心からの渇望が、利己的独裁者の餌になり、宗教というかたちで搾取されている事、その心の渇望に寄り添い、正しい道を指導する師であったり、師の教えであったり、人々の知恵が失われていることである。過剰な物質主義、人生の意味に対する無知と無関心、高い精神性の飢えが、狂信的独裁者というきっかけを得ることで破壊行為として顕現され、その結果尊い人命が失われたのである。諸悪の根源はオウム真理教ではない。彼らは空気弁を開ける表面的なきっかけを与えたに過ぎない。カルマの圧力を上昇させる原因そのものは、我々自身の中にある。

カリスマ性なりわずかな超自然的能力だったりを生得的に持っていたり、多少のヨガの修行で後天的に獲得することもある。人民寺院とオウム真理教の2つの事例はシーラ(道徳律)という土台を固めずに精神修養することの危険性が最も良く示されていると思う。基礎工事なしでビルを立てれば、ビルの高さが上がる程、崩壊のリスクは高まり、崩壊した時の被害は甚大になる。まず人民寺院のジェームズ・ウォーレンやオウム真理教の麻原彰晃は強い被害妄想に捕らわれていた。麻原は自分の周辺で毒ガスが蒔かれているという妄想に怯えていたし、ウォーレンは麻薬や武器の密売がFBIに漏れていると妄想しており、常に強制捜査の可能性に怯えていた。こうした強い被害妄想は統合失調症の症状である。クンダリーニヨガに失敗し頭からエネルギーが抜けないと、統合失調症様の症状が出てくる。もともと頭のおかしい人間でなくとも、霊性の使い方を間違ったり、利己的な意図を持って修行を進めると、エネルギーが逃がせなくなって、精神や肉体を崩壊させるのである。頭にエネルギーが停留すると統合失調症になり、胸にエネルギーが溜まると心臓病や急性の心肺停止に陥る事がある。これらがもともと超自然的能力を持ち合わせていたり、熱心にヨガを修行する者の持つ危険性である。グルともなれば、弟子達が彼らの手となり足となって懸命に働くため、一気に集団全体が狂ってしまうのである。悲しい皮肉ではあるものの、こうした事例はヨガ修行の危険性を極端に示すものとして、後世において強い教訓として残るだろう。ある意味それは、命を落とした人々の持つ使命でもあったはずである。その危険性を後世に伝える事が、より多くの修行者に正しい道を示す手助けとなっている。魂の視点から見れば、彼らは尊い自己犠牲の精神を持っている。

麻原彰晃はダライ・ラマと接見している。その当時の麻原がまだ霊的に高い段階にあったという解釈も出来るが、そもそも教団の設立意図が金と力にあるのでその可能性は極めて低い。だとすると、ダライ・ラマとその弟子達は麻原のチャクラなりオーラの色や光の強さが見えなかったという事になる。そういうのは瞑想状態とか変性意識に入って集中しないと見えないものなのだろうか。だとしても、現在の代表的なチベット密教はそのレベルという事になる。だが過去世の記憶ははっきり持っているというのだから不思議だ。辻褄が合わない。過去世の記憶すら集団の嘘ではないかと疑ってしまう。

伝統的宗教であれば修行中に気が狂ったところで、その他のまともな人間や師が治してくれる。だからこそ1代や数世代で組織が崩壊するという事はない。既に成熟した旧宗教はゆっくりと腐っていくのである。そこが新興宗教と伝統宗教との決定的な違いではないだろうか。若い組織は成長も早いがトップが腐ればそこから一気に腐る。

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