おすそわけ

俺はA大学の4年生。親元を離れ気ままに一人暮らしをしている。4年生だから就職活動をしているのだが特にやりたいことのない俺は適当に就活をして毎日適当に暮らしていた。親からの仕送りは住んでいるアパートの家賃だけ、後はゴミ収集のバイト代で食っている。ところが俺は飲み会が大好きなのだ。酒は別段強いわけでもないが飲み会の雰囲気が大好きで、誘われるとたいして仲の良くない友達とも飲んでしまう。だから毎月給料日前には飯代もなくひもじい思いをしていた。しかしそんな俺の唯一の救い、それは隣のおばさんだった。

「あら、木下さん。また給料日前でお腹減らしてるんでしょう」
うちのアパートは2階建てで俺が201、隣のおばさんが202に住んでいた。おばさんは朝からパートに出ているらしく、ゴミ収集のバイトに出かける俺とほぼ毎朝顔を合わせた。
そして毎月給料日前になるとこう言うのだ。この時だけは別段美人でもない40過ぎのおばさんが俺にとっては天使に見える。
「あ、ばれちゃいました?そうなんですよー、おなかペコペコで」
俺はまるで昔話の継母にいじめられてご飯を食べさせて貰えないかわいそうな少女のような声で言う。
「あら、じゃあ今晩はおいしい物を作って持っていくから期待していてね」
「ありがとうございます、期待してます!」
そう言って俺とおばさんは別々の方向に出かけていく。これも毎月の恒例行事だ。俺がここに越してきたのは大学2年の時。お隣に挨拶に行くとおばさんがニコニコして出てきたのを覚えている。

「どうも、今日引っ越してきた木下です。よろしくお願いします」
「あら、学生さん?若い男の方がいらして本当にありがたいわ」
「ええ学生です。どうして若い男だとありがたいんですか?」
「いえね、前までそこに住んでいた女の子が下着泥棒に頻繁に遭っていたんですよ。だから引っ越しちゃったんですけど、若い男の方なら心強いですもの」
確かに俺の下着が盗まれる心配はない。
「そうなんですか。じゃあ何かあったら言って下さい。お手伝いしますから。お一人暮らしなんですか?」
「いえ、結婚してますよ。ただ主人は夜の勤務が多い仕事なので帰りが遅いんです。ところで木下さん、自炊とかなさるのかしら?」
「普段は外食ばかりなんですけど、月末は金欠になっちゃって家でひもじく食べてますね」
それを聞いたおばさんの目が一瞬輝いたような気がした。
「じゃあ、おすそわけしてあげるわよ。」

そしてそれから2年、毎月給料日前の朝に会うと、おすそわけはいるかと聞かれた。初めて食べた時に美味しくてそれから一度も断ったことがない。それがただの肉じゃがとか煮物なら飽きたかもしれないが、おばさんのパート先はアジア料理店らしくてベトナム料理やタイ料理を作ってくれた。普段食べなれない味にはまった俺は、給料日前が待ち遠しくもあったものだ。

そしてその日、俺が大学から帰ってきて部屋でテレビを見ていると、おばさんがおすそわけを持ってきてくれた。
「今日はね、ダチョウのから揚げよ。主人は余り食べてくれなかったから、いっぱい持ってきちゃった。」
そう言って置いた皿の上には確かにてんこもりのから揚げが乗っていた。
「ありがとうございます!」
と言うとニコニコしておばさんは帰っていった。
一人でから揚げを食べていると隣の家から喧嘩の声が聞こえてきた。別に壁のペラペラな安アパートというわけではないので内容までは聞きとれないのだが、なんとなく夫婦喧嘩の雰囲気は伝わってくる。週に1度くらいそんな喧嘩の声が聞こえてきていたので俺は

「またか、喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもんだよ」
と一人つぶやいた。

次の月末、朝会うとやはりおばさんはおすそわけはいるかと聞いてきたので俺は「はい」と即答した。

バイトから帰ってきて部屋で、
「そろそろ、飯来るかな」
とつぶやいていると丁度いいタイミングでおばさんが来た。
「今日はね、ワニ肉料理よ」
とおばさんは言った。持ってきた皿の上にはこんがりと焼けた肉があった。
「ワニ肉ですか、俺食べたことないんですよ」
「そう、それはよかった。じゃあ召し上がれ」
と言っておばさんは珍しく俺の目も見ずにすぐ帰っていった。
「ワニか・・どんな味がするんだろ」
恐る恐る食べて見るとこれが意外にうまい。すっかりとりこになってしまった。10分もしないうちに300グラムはあっただろう肉を平らげてしまった。
翌朝、おばさんに会った時に
「昨日のワニ、本当に美味しかったです。でもワニなんて高いんじゃないですか?そんなもの貰ったら悪いですよ」
と言った。確かに美味しかったが実際値段も気にしていた。おすそわけだって言うのに高い肉を頂いたのでは申し訳ない。
「いえいえ、パート先で安く売ってくれたんでいっぱい買ってきちゃったの。
気に入ったんなら今夜もワニ使って何か作るから持っていくわ」
おばさんはニコニコと言った。俺は本当にワニ肉がうまかったので遠慮しつつも喜んで持ってきてくれるならありがたい、と言うような趣旨のことを言いまくった。
そしてそれから半年間、月に4回ほどおばさんはワニ肉料理を持ってきてくれた。おばさんがワニ料理を持ってきてくれるようになってから、不思議と夫婦喧嘩のような声は聞かなくなっていた。

その後俺は就職が決まり、あのアパートを引き払った。勿論、おばさんに厚くお礼を言ったがおばさんの旦那さんは挨拶に行った時も顔を出さなかった。




「あなた巣鴨のクレイズ巣鴨に住んでたの?」
「うん、大学2年から4年まで住んでたよ。どうして?」
「私もそこの201号室に住んでたのよ、偶然ねぇ」
と会社で知り合った彼女の麻美と俺の自宅で話していた。今はちょっとこぎれいなマンションに住んでいる。
「俺も同じ部屋だよ、もしかして俺の前に住んでいて下着泥棒が恐くて引っ越した女子大生ってキミのことかい?」
同じアパートに住んでいたもの同士がこうして知り合ったと言う偶然に俺はちょっと興奮した。
「んー違うと思うな。私が引っ越したのは隣の202号室の人のせいだもの」
「202?俺はいつもそこの愛想のいいおばさんにお世話になってたな。俺が住んでいた時とキミが住んでいた時じゃ202の人違うのかな?俺の時は40くらいのおばさんと旦那さんが住んでいたけど。」
「私が住んでいたのは4年前、あなたは?」
「4年前から2年前まで。ってことはやっぱり俺の前はキミだったんじゃないかな。それにその隣人は住んでから5年経つって言ってたから同じ人だと思うよ。」
麻美はちょっと考えてから、
「確かに40くらいのおばさんだったわ。最初はニコニコしていたんだけどね、ある日隣のうちから壁を叩く音がして、それが毎晩のように続くようになったの。旦那さんは夜働いていたみたいだからその音は奥さんだなって思って抗議しに行ったんだけど逆に怒られちゃったの」
と真剣な眼差しで話す麻美がウソをつくはずがないのだが、どうしても信じられなかった。
「でも、俺さ、いつも給料日前になるとそのおばさんにおすそわけしてもらってたぜ?」
と言うと麻美は思い出したように言った。
「そう、確かあの壁の音が始まったのは、私が奥さんにおすそわけいりますかと聞かれて、断った時から始まったんだわ」
俺は考えた。つまり、おばさんはおすそわけを貰わない麻美が邪魔で追い出して、おすそわけを喜んで貰う俺には優しかったてわけだ。
「それにさ、そこの旦那さんが大酒のみらしくてね、仕事っするっつって出かけちゃ酒飲んで帰ってきて暴れるって大家さんが言ってたわ。奥さんも大変だったのかもね、だから私と仲良くなりたかったのかも。おすそわけなんか断らなければよかったわ」
そう、確かにおばさんとご主人は仲がいいとは思えなかった。怒鳴ったりの喧嘩はしないもののたまにおばさんの泣き声も聞こえた気がした。
「まぁ、そんなことはどうでもいいわ。ただ2人で前後して同じ部屋に住んでいたなんて偶然ねぇ!驚いたわ」
そんなことを言いあいながら俺らはベッドに入った。

次の日、会社で営業日誌をパソコンで作っていると、ふと昨日のことが気になった。
「どうせ、周りの奴は見てないし、と。」
そうつぶやいてインターネットの検索サイトで[クレイズ巣鴨]と入力してみた。するとインターネット上で見られる新聞が出てきた。
「何かあそこで事件があったのか?」
そう思ってその記事をクリックしてみる。見出しは「アパートの冷蔵庫から白骨死体」とあり内容はこう書いてあった。
「本日未明、豊島区巣鴨にあるクレイズ巣鴨で借主が引っ越した後の家を大家が点検したところ業務用冷蔵庫が残っているのを発見。中を見たところ白骨死体があり110番通報した。巣鴨署の調べで白骨死体は中年男性のものであり、死後1年以内と判明した。ところが冷蔵庫に保管されていたにも関わらず男性の肉は削がれたように一切残っておらず、死後肉を取り除いた可能性がある、同署は殺人及び死体遺棄事件と見て捜査を開始した。死体は現場に以前住んでいた鹿屋守さん(46)とみられるが指紋等がないため確認が出来ない。同居していた内縁の妻が何らかの形で事件に関与していると見て行方を追っているが、死体には骨以外何も残っていないため、証拠の残らない殺人事件として捜査は難航している。」
日付は2年前の夏、俺が引っ越して2ヶ月くらいのことだ。確かこんなニュースをテレビでやっていた記憶もあったがまさか自分の住んでいたアパートだとは知らなかった。背筋が凍りついて、その場に固まってしまったが俺は深く考えるのをやめにした。

その夜、帰り道にあるゲテモノ食料品店にふと目が行った。
[ワニ肉入荷]
とそこには手書きで書いてあった。俺は迷わずそのワニ肉を買った。
家に帰ってフライパンで焼いて食べた。

味も食感も、おばさんがくれたワニ肉と完全に一緒だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?