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三人家族

 「ひなちゃんに告ぐ!母はなりたての新人である!お世話に手抜かりしかない!あしからずご了承を!」
産後の病院生活は子育ての第1関門であった。
 1日目は大半の時間を病室でゆっくり過ごし、二日目から本格的なお世話が始まった。
3時間おきのおむつ替え、授乳、寝かしつけのセットを永遠繰り返した。どの作業も意外と難しい。
一連の作業には少なくとも1時間はかかる。結果休む時間は残り2時間となった。
2時間というのも最長の休み時間だ。寝かしつけに失敗するとひなちゃんは泣き止まなかった。
1時間以上はだっこし続け、次のおむつ替えサイクルに突入することも多かった。ひなちゃんは助産師さんたちにも
「よく泣く赤ちゃんね」
と言われた。
生後二日目の朝、新生児室からやってきたひなちゃんの声はカッサカサに枯れていた。どうやらミルクを飲んでもおむつを替えてもらっても泣き止まず朝を迎えたようだった。
生後二日にして酒焼けしたような哀愁漂う声になってしまっていた。
しかし「よく泣く赤ちゃん」という烙印というかお墨付きをいただけたことで、私の気持ちは余裕が生まれた。(助産師さんのような赤ちゃん対応のプロがそう言うなら、私が少々泣き止ませられなくても仕方ないか)と思えた。
そもそも母親にはなったが、私には赤ちゃん語の日本語翻訳機能など備わっていない。ひなちゃんが泣く理由が本当にわからないのだ。申し訳ないけれど。
 二日目の昼間には助産師さんと初めての沐浴にもチャレンジした。人形とは違い、よく泣きよく動くひなちゃんをお風呂に入れるのは至難の業である。左手でひなちゃんの頭と体を支え、右手で洗うことはとても怖かった。緊張のあまり左手首がプルプル震えた。
沐浴特有の、最初に目を拭いて、顔全体を拭いて、それから頭を洗って…と、覚えなければならないらしい細かなルールにも圧倒された。
 三日目の朝には血圧が上がり、8度4分の熱が出た。ひなちゃんではなく私の!
産褥熱というもので、子宮にたまった血から感染を起こしたとのことだった。
そのせいで朝晩の点滴に寄る抗生剤の投与や採血、子宮内の消毒と痛い処置が追加され、気分が落ち込んだ。まったく産後に至るまでトラブルに見舞われるとは思いもしなかった。
 四日目には熱も下がったが、その間もひなちゃんのお世話は続いた。一つ良かった点は、体調不良により四日目まで夜のお世話は免除されたことだ。
ひなちゃんはプロの助産師さんたちに手厚くお世話をしてもらえたことだろう。
 五日目ともなると、助産師さんに
「まま一人でも見られるようにならなきゃね」
と優しい言葉遣いながらも厳しく諭され、昼夜を問わないワンオペ育児が始まった。
結果退院まで寝不足が進行し、体力気力共にきつかった。いつも身体が熱く、ぼんやりし、脳みそが解けていくような気がした。
 産後七日目の朝ついに退院を迎えた。眠いながらも私は達成感に包まれ、早々に退院準備を済ませた。
1階の受付に下りると、夫、私の母、そして夫の両親が迎えに来てくれていた。ひなちゃんをこんなにもたくさんの家族が待ち望んでくれていたということがとても嬉しかった。
同時にこれでひなちゃんのお世話要員が増えるぞと心底ほっとした。
 病院から出ると秋晴れの空が広がり、少し肌寒いながらもすがすがしい風が吹いていた。入院前よりも確かに季節は進んでいた。
家までは私がひなちゃんをだっこひもでだっこし、みんなでゆっくり歩いて帰った。家族が一人増えた重みと喜びを実感しながら一歩ずつ歩いたこの日を忘れることはないだろう。

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