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実習

実習引率してきました。

まだまだ私は独り立ちしていないので、もう一人の先輩の先生について行く形でだったが。

実際、久しぶりの病院や病棟は楽しかったし、患者さんと関わるのも、楽しかった。語弊があるかもしれないけど。学生は、個性それぞれ。毎日同じ指導はできないし、どの子にも同じ指導ではだめだと思う。

ただ、昨今のハラスメントではないが、指導って何なんだろうとおもう場面は多々あった。そもそも、ハラスメントというものは、人間がお互いに尊敬をもって接すれば起こらない類いのものなのではないかと思う。パワハラ、セクハラ、マタハラ、アカハラ。相手を見下したときにその気持ちをあえて相手にぶつけなければ、起こらないのではないかと思う。ぶつけてしまうから、おおごとになる。ぶつけようとする精神もどうなんだろうとおもうが。

職が職なだけに、甘やかすことはできないと常々思っている。他人の命に関わる仕事だ。専門的な知識も必要だし、これまでの高校生活と同じ学習ではもちろんついてこれないだろう。現在のカリキュラムでは、一つの単位も落とすことはできないし(私の時もそうだった)、すべて単位を履修したからと言って、国家試験に不合格なら看護師にはなれない。

実習もきつい。疾病の学習、行われている治療、提供されるケア、学習することは多いし、なにがどうなっていくのか、思考する過程も学ばなくてはならない。どの看護も正解はない、すべて患者さんの症状や訴えから必要なケアを提供し、患者さんの反応からそれがはたして適切だったのか、改善点はあったのか、考えていかなくてはならない。

今の子供たちや学生は、正解をほしがる傾向にある。解決しないことにもやっとするのかもしれない。正解がないのが不安で、一つの事象に対する自分の考えを述べることができず、つまずく子が多い。あなたはどう考えたの?と質問すると、「指導者さんはこう言ってました」や「他の先生からこう言われました」と返答する。違うのだ、自分がみた事象を、自分がどう考えたのか、それを学ばなくてはならないのだ。「たしかにそう言われたのかもしれないが、『あなた』は、どう考えるの」そう再度訪ねると、無言になってしまう。もっとかみ砕いて質問していくと、小さな声で不安そうに「...こう思いますが」と返答する。聞いてみると、きちんと考えているのに、言葉にできないのだと思う。そして「自信がない」「自分の考えが合っているのか不安」と答えるのだ。

「それでいいんだよ。自分の考えがあるんだから、自信もって。それを実際に行って、患者さんの反応を見ないと、それが正しいのかどうかなんて私にだってわからないのよ」「正解を答えようとしないでね」

かく言う私だって、初めての教員としての学生指導は自信がないのだ。

自分の指導がどうだったのか、学生の反応をしっかり見て行こうと思う。

いつか彼女たちが看護師になったら、そのときは教員ー生徒という関係ではなく、同じ看護師=同僚になるのだから。


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