三国漢麗劇団物語(BL小説)第8話
八
玄武蜀組の公演が無期限延期となったことは他の組にも大きな衝撃だった。しかし青龍魏組も朱雀呉組も自身の公演に向けての練習に余念がなく、いちいち他の組のことなど深く考える余裕もなかった。そんな中、事実上の休日の状態となった玄武蜀組の団員達はそれぞれ思い思いに過ごすものの、いつ公演の日和が決まってもいいようにレッスンを怠らなかった。もちろん、主役を演じるのは玄武蜀組トップの姜維で、今回の演目での相手役となるのが組のナンバー2の趙雲だ。その周りの人々を関羽や張飛などほとんどの団員が演じるのだが、組トップから退いた劉備には演じる役は決まっていない。
そして、次の乙女トップの座は誰のものになるかで組内はざわついていた。
完全に蚊帳の外に追い出された形となった劉備はその日も一人、劇団の敷地内の中庭にいた。その広い中庭には樹木がまばらに植えられていてその中のひときわ大きな一本の木の木陰に劉備は腰を下ろしウトウトしている。晴れきった夏の昼間、まるで、安心しきったような微睡みの中に劉備の意識は沈んでいくようだった。
木陰にそよぐ風に劉備の肩まで伸びた髪が揺れる。なんとも絵になるその美しく涼しげな姿を一人の男が見つけた。
さくさくと芝生を踏みしめ劉備に近づく。
「劉備?」
声をかけたが、劉備は気づかない。その男は更に彼に近づいて。
「劉備」
もう一度その名を呼んだ。
劉備はやっと目をうっすらと開けた。そして眩しそうに目を細めたままその男の姿を見上げてみせた。
「黄忠さん・・・」
その名を口にして劉備はニコリと微笑む。男は劇団内では一番の年長者であり現役の玄武蜀組団員の一人、黄忠だった。黄忠は四十路になるがその姿はまるで老人のように老けて見える。年に似合わない真っ白く伸びた髭のせいだろう。
「稽古はいいのですか?」
劉備が言うと、黄忠は彼の隣を指差し座ってもいいか?と無言の仕草を見せた劉備も何も言わず、小さく頷く。黄忠は隣にドカッと腰を下ろした。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人の間に会話はない。風で揺れる植物の葉の音だけがその場を支配している。しばらくその音を堪能してから。
「いいのか?これで」
口を開いたのは黄忠だった。すると劉備は空を仰いだ。
「私、卑怯ですよね」
そう言って目を瞑る。
「姜維に“姫”を押し付けてしまいました」
「・・・・・・アイツが姫という役目に耐えられると思ったのか?」
「・・・・・・」
「劉備、お前はよくやった」
「何も残らなかったのに?」
劉備は言いながら服の上から胸を手のひらで叩いた。
「この無数の傷痕しか・・・・・・!」
「あの御方は、まだお前を求めているぞ」
「そのうち私のことなど忘れるでしょう。姜維は魅力的だから」
「本気で言ってるのか?」
「・・・・・・」
黄忠はため息を一つ吐いてから立ち上がった。
「お前の居場所もなくなったな」
そう言い残し去っていく。残された劉備は、俯き、震えていた。何度も何度も胸を叩いて。
「私は玩具じゃない・・・・・・!」
と押し殺すように絞り出して呟くと涙を流した。
しかし、どうだろう。この言い知れない虚しさは。姜維に責任を丸投げしてしまった後悔。この劇団に居場所がなくなった事実。必要ではなくなった。もう、ここにいる理由がわからない。
もう、もう。
「・・・・・・死にたい・・・・・・」
かすれた声で吐き出された劉備の悲痛な想いは風の音に消されていった。
※※※
「はぁ」
大きなため息を吐き、姿見の前に上半身裸で立つのは姜維だ。
夜も更け自室に一人、稽古の疲れと傷痕の痛みとで姜維の精神は追い詰められているようだった。しかし、不思議と晴れやかな表情なのは自分が玄武蜀組のトップになれたからだろう。姿見に映る顔を見て、姜維は頷いた。
「僕はやれる」
呟いて何度も頷く。
その時、携帯電話が鳴った。なぜかドキッと驚いてから姜維は携帯電話の画面を見る。
「諸葛亮様!」
表示されている名前を見て胸が高鳴った。一度は諸葛亮への不信感を抱いたものだが、あれから時は経っていた。トップになってからこうして連絡をもらうのは初めてだったのだ。
「もしもし!」
明るい声で電話に出た。
「姜維?」
「はい!」
「・・・・・・姜維」
「はい・・・・・・!」
何度も何度も名前を呼ぶ諸葛亮。その愛しい声に姜維は感極まって声を詰まらせた。
「会いたい」
諸葛亮がそう言うと、姜維は涙を浮かべる。
「僕もです!」
「アナタは私のものです。可愛い私の姜維・・・・・・」
「諸葛亮様!!今どこですか?すぐに会いに行きます!!」
姜維は彼の居場所を聞くと素早く服を着て部屋から出た。
「!?」
「姜維様」
部屋から出たそこに関羽が立っていた。姜維は驚いて足を止める。
「こ、今夜も?」
恐る恐る訊ねた。すると関羽は頷く。
「今夜だけは・・・・・・!」
「それは駄目です。あの御方がお待ちです」
「頼む!明日からはちゃんと姫として努めるから!」
「貴男は何を勘違いしているのですか?」
関羽は冷ややかに姜維を諭した。
「姫の貞操はいつ何時でもあの御方のもの。今からどこに行き、誰に会うかは知りませんが、あの御方が所望すれば貴男はそれに従うのみ。それが“姫”ですよ」
「・・・そんな!」
「貴男は劉備様の代わりになると言った。それは嘘だったと?」
「そんなことは!」
その時、握りしめたままの携帯電話が鳴りだす。その画面に目を落とすと愛しい人の名が。姜維は目の前の関羽と鳴り続ける携帯電話との間で大きな葛藤を味わっていた。愛する人のところに行きたい。しかし姫という存在の自分は捨てきれない。どうすれば、どうすれば!
そこまでの、決意だったのか?僕が劉備様から姫を受け継いだのは、僕が姫になったのは、なぜだ?
姜維の目から光が消えた。と同時に携帯電話の着信を切っていた。
「行きましょう」
関羽は姜維の背中を軽く押しながらあの場所へと連れて行くのだった。
レッスン場の倉庫に小さく灯りが点いていた。そこはかつて諸葛亮と姜維が情事を行っていた場所だ。諸葛亮は先ほどかけた電話を相手に切られて呆然としていた。
「姜維・・・、なぜだ?」
哀しげに問うても答えはない。携帯電話を伏せて俯く。
ギィー。
するとそこへ倉庫の扉が開く小さな音が聞こえた。諸葛亮は顔を上げて嬉々と目を見開く。
「姜維!?来てくれたのですか!」
「その声は・・・」
「?!」
しかし、現れた人物に諸葛亮の表情が変わった。開いた扉から顔だけ覗かせたのは劉備だったからだ。
「どうして貴男が?」
諸葛亮の問いに不思議そうな顔で劉備は、
「灯りが点いていたので、消し忘れかと思って消しに来たのですが」
と答えた。
諸葛亮は、ごもっともだと我に返る。この場合、異質なのは自分のほうだ。こんな夜遅くにこんな場所で何をしているのかと問われたらたぶん答えられない。しかし劉備は微笑む。
「姜維を待っていたのですか?」
劉備のその意外な言葉にハッとする。
「・・・・・・そうだとしたら?」
誤魔化しきれないと察したがそれでも出た言葉はそれだ。すると劉備は何か考えるように目を泳がせてみせた。
「彼は来ませんよ」
「なぜ・・・・・・!」
そんなことをお前が言うんだと憤怒しかけて必死に抑えた。
「彼は、姫ですから」
「・・・・・・あの日、何があったのです?」
「あの日?」
「姜維と一緒に謹慎ルームに入れられたあの日です。その翌日、貴男から姜維に姫が代わった!」
「・・・・・・それは」
「貴男が彼に何か吹き込んだ!そうでしょう?!」
諸葛亮の怒りの感情が露わになる。まるで溜まりきった不満が爆発したかのように。そんな彼を見て、劉備は倉庫に体も入れて扉を静かに閉めた。
「姜維は、私の代わりに姫になってくれた。ただそれだけです」
静かにそう言った。しかしそれで納得できる諸葛亮ではない。
「では、貴男は姜維の代わりになるのですね?」
諸葛亮は幾分か落ち着いて言った。意味のわかっていない劉備が口を開きかけたが、諸葛亮がずんずんと近づいてくるのを見て言葉を飲み込む。諸葛亮は劉備の目の前に来ると彼を見つめた。
「貴男が彼の代わりに私のものになるんでしょう?」
「・・・・・・」
「私と彼は愛し合っていたのですから」
「・・・・・・」
劉備は逃げようと本能的に扉のノブに手をかけるがその手を強く掴まれた。諸葛亮は劉備を扉に押し付けて強引にキスをする。その貪るように乱暴なキスから逃れようと劉備なりに抵抗したが思いの外諸葛亮の力が強く無駄だった。舌は無理矢理絡み合って、快楽じゃなく恐怖しかなかった。それは、諸葛亮の姜維への想い。愛しい姜維を奪われた怒り。そして、言い知れない独占欲。
それを悟った劉備は抵抗をやめてしまった。
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