それぞれの時代の女友達
コロナの影響でもう1年ほど会えていない友人から電話があり、気づけば3時間も話していました。私はほとんど聞き役になることが多いので、彼女の心に溜まった鬱憤を受け止める役目をしながら、それでも本当に気心が知れているから、それが全然負担になっていなくて、彼女が全て吐き出して楽になってくれればそれでいい、と思っている自分に気づきました。
彼女と出会ったのはお互いの子どもが同じクラスだったというだけのきっかけでしたが、子ども同士は特に仲良くなかったのに、最初会った時から「あ、この人好きだな」と感じたのでした。
思えば、同性でもすごく好きになってしまう相手がいて、話したいな、友達になりたいな、という気持ちが芽生え、相手が自分のことをどう思っているのかわからないような段階から、確固たる信頼関係を築くまでにすごく時間のかかる相手とすぐに打ち解ける相手とがいるように思います。先に話した友人は比較的時間を要したかもしれませんが、知り合って10年経った今、お互いのことを信頼し、必要としていることを感じます。彼女は自分の中の恥ずかしい部分、普通なら言えないような部分もさらけ出してくれて、たとえ全部さらけ出しても私がどこへも行かない、彼女のことを嫌いにならないし責めもしない、というのがわかっている、そんな良い関係に到達できたんだな、と嬉しく思いました。
振り返ってみると、物心ついた頃から、どの時代にも親友と呼べるなんでも話せる相手がいたけれど、10代20代の頃の友人たちは、転勤、結婚や離婚などを経て遠くに行ってしまったりで疎遠になった女友達も多くて・・彼女たちと久しぶりに会って話す機会があっても、昔とは生活や価値観が変わってきていて、あの頃あれほど気が合っていたのに、今はあまり話が合わないということもあります。
そんな中、今、仲良くさせてもらっている3人の女友達は、人生も折り返し地点を過ぎてから出会った女性たちで、異性ではないのに、出会うべくして出会った運命的なものを感じる相手です。揺るがない信頼関係にあって、多分死ぬまで友人でいてくれるだろうな、と思える良い関係。
考えてみれば、夫との出会いにも運命的なものは感じなかったのに、その分女友達と運命的な出会いをして、一生付き合える、そういう人がいてくれたことが今はとても感謝なことに思えます。
人生も後半に入って、私がこれからも必要と感じるのは、良き女友達と良き本のような気がします。あとは良き音楽と映画でもあれば、それで充分私の人生は満たされる・・そんなことを考えた晩夏の昼下がりでした。