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 休日の朝、起き上がったところで「今日もほとんど予定がないなあ~~~?」と思うと、なんとなく、だらだらしています。結局起きるのはだいたい8時くらい。平日と同じように、6時くらいに起きたいと思っているのだけど、だるくて動けません。なんだろう。別に前日に忙しくしていたわけでもないのに。

 5月の週末も、今日と、あと来週の1回ですね。
 平日も家にいる日が多いと、仕事の日と休みの日の境目がだんだん曖昧になってきます。とくにこの週末は、頭の片隅になんとなく仕事のことがあり、落ち着きません。きっと、この先の状況を見据えて、がんばらなきゃ!とようやく思い立ったところだからだと思います。

 そんな私に追い打ちをかけるかのように、金曜日、とあるプロジェクトのリーダーから連絡がありました。さも当然といわんばかりに「どう?進展きかせて!」みたいに言われて、進捗0%の私は真っ青。1ヶ月先のことだって読めないのに、そのプロジェクトのゴールは2年後・・・。にもかかわらずリーダーは着々と準備を行っているようでした。どうなっているんだ。その行動力がうらやましい。

 とりあえず資料集めしようと本を数冊買ったら昨日届きました。はや!でも明日まで開きません。今日は日曜日だから!


 「独り居の日記」ちょびっとずつしか読めてないけど、これを書いていた彼女の状況と今のわたし(たち?)の状況はけっこう似ているような気がして、はっとしたり、共感したりする文章がたびたび出てきます。でも散文だとそれがどの部分だったのか、すぐわからなくなってしまう・・・忘備録として少しだけ引用させていただきます。

 何もしない日がどんなに重要であり、日記の数行も書かず、何も産み出すことを期待しないことが時時どんなに大切であるかを、私は忘れがちである。―(中略)―精神(psyche)に対して私たちのできるもっとも貴重なことは、時折り、それを休ませてやり、遊ばせてやり、光の変化する部屋の中に生かしてやり、何かであろうとつとめることも、何かをしようとも、いっさいしないことだ。(p.109)
 私の周囲の空気だけは死んだよう。近頃は生活に生気を与えることができなくなってしまった。まるで島流しにされたような気がする。
―(中略)― 目下は、ここでの生活に退屈している。十分な栄養のないせい。よい会話、劇場、コンサート、美術館など――文化の香り――のこの辺りにないことが、退屈の真空をつくることが時々ある。(p.116)

#日記 #エッセイ #独り居の日記