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【谷町四丁目駅~堺筋本町駅】ぶらり史跡巡り

奥さんを送り出して、一人で留守番するのも寂しいので散歩に出かける事にしました。

お正月休みで色々な手続きが溜まっていたので役所巡りついでに、谷町四丁目~堺筋本町までを散歩しました。

老後一人になったらこんな感じになるのかな…?

マイナビニュースで見たgooglemapに「史跡」と打ち込むと「街歩きがブラタモリみたいになる」という事で早速やってみました!

良い事はすぐに真似をする、それが私の信条剛です。

スタートは谷町四丁目です。

まず史跡で一番近くにあったのが難波宮公園です。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、日本の都が大阪にあった事を示す前後期の宮殿の跡があります。

難波宮公園

大阪城公園と中央大通りを隔てた南側にある、約9万平方メートル余りの史跡公園です。

天候は曇り

シンガポールの高級ホテル「カペラホテルグループ」が、NTT西日本の旧本社跡地に巨大なクレーンで建設中です。

私の兄は大学生の頃にマツダのカペラに乗っていました。

NTT本社跡地

公園内にある看板によると飛鳥時代に初めて作られた宮殿は、奈良時代に建て直されたそうです。

看板

役所巡りも同時進行で行う

公園を散策してから法務局へ向かいました。

法務局は天満橋近くにあった年季の入った建物から、谷町四丁目の巨大ビル(大手前合同庁舎)に移動していました。

以前の法務局の傍にたくさんあった司法書士事務所はどうなったのでしょうか?

また見に行ってみたいと思います。

大手前合同庁舎

大手前合同庁舎の四階で手続きを済ませてから、区役所や年金事務所を回りました。

社会保険から国民健康保険国民年金に変わり、ようやく新しい保険証が手に入りました。

これで病院に急遽運ばれても安心です。

よかったよかった。

史跡巡りの再開

次の史跡は此界隈井原西鶴終焉之地碑

此界隈井原西鶴終焉之地碑

井原西鶴といえば人形浄瑠璃と、小学校の頃に無理やり覚えた記憶だけが残っています。

wikipediaで調べると、江戸時代の俳諧師との事です。

この終焉の地の石碑に辞世の句が刻まれていました。

浮世の月 見過ごしにけり 末二年

井原西鶴

江戸時代では人生50年と言われていたが、井原西鶴は52歳で亡くなった為、浮世を2年余分に見る事ができたといった内容だそうです。

井原西鶴辞世の句

今が江戸時代であれば、アラフィフの私も浮世からおさらばする時期が迫っていてもおかしくありません。

改めて今ある生に感謝、生かされている事に甘んずることなく生きる事を全うしたいと思います。

井原大先輩!

ご指導ありがとうございます!

谷町筋を横断して次の史跡を目指します。

月山貞一旧居跡

Ramen辻

途中に何やら行列があります。

googleで見ると評価4.1のRamen辻との事、鶏白湯が有名みたいです。

お金がないので食べずに史跡を探します。

ラーメン辻の目の前にありました!

普通の家に同化しているのでわかりにくかったのですが、月山貞一(がっさんさだかず)旧居跡だそうです。

ラーメン屋の行列の人に見られながら写真を撮りました。

月山貞一旧居跡

つきやまさだかずではなく、がっさんさだかずです。

がっちゃんではありません、がっさんです。

月山家は有名な刀鍛冶だったそうです。

大坂は江戸時代初期から、国内有数の刀剣製作王国であった。「大坂新刀」といわれる直截(ちょくせつ)的な優美華麗さがその特色である。この伝統を引き継ぐのが月山家で当地で活躍した。貞一(天保7年、1836-大正7年、1918)は幕末から維新にかけて大坂を代表する刀工であった。生涯鍛刀一筋に生き、銘ぶりの見事なことでも有名で、帝室技芸員に選ばれ、明治天皇の佩刀(はいとう)や伊勢神宮の宝刀をきたえている。なおこの系統をひく刀工は現在も各地で栄えている。

大阪市HP

刀鍛冶といえば、風来のシレンでどうたぬきに様々な能力を合成し、さらに鍛造した刀を誤操作により死んでしまい無くなった時のショックを思い出します。

風来のシレンは「形あるものは必ず壊れる」、この世の諸行無常を教えてくれるバイブルでした。

私達人間も自然の一部であります、いつか必ずこの世からいなくなります。

決してお金集めに夢中にならず、家族や友人を大切にしよう。

大村益次郎寓居跡「漏月庵」

大村益次郎寓居跡「漏月庵」

明治維新に尽力した維新十傑の一人である、大村益次郎の寓居跡です。

大村益次郎を主人公とした司馬遼太郎氏の原作「花神(かしん)」は、NHKの大河ドラマにもなっていたそうです。

のりおかクリニック(旧:古川医院)さんの建物に石碑がくっついています。

大村益次郎寓居跡「漏月庵」

ひさしから漏れる月明かりが美しく「漏月庵」と名付けられたそうです。

幕末期を生きてきた彼らもその時代を精一杯命を燃やして生き抜いた事でしょう。

私も頑張ります!

山本能楽堂

山本能楽堂を見てから、中大江公園に向かいます。

中大江公園

公園の東側に鰻のにしはらがあります。

ここの鰻はすごく美味しいです。

数々の鰻を食べてきた味覚音痴の私が言うので信ぴょう性はありませんが、騙されたと思って一度食べてみてください。

本当に美味しかったです。

でも予約しないと滅多に入れないので、予約してから行きましょう!

鰻にしはら

中大江公園の中に宇野浩二文学碑があります。

宇野浩二文学碑

宇野浩二は明治時代を生きた小説家です。

私は残念ながら知りませんでした。

青年期を大阪で過ごした文学の鬼
作家。明治24年(一八九一)生まれ、昭和36年(一九六一)没。碑には『清二郎 夢見る子』の一節が刻まれている。「夢と詩があって人生であり、詩と夢があっての文学である」という名言を残す。

大阪中心

「夢と詩があって人生であり、詩と夢があっての文学である」

『清二郎 夢見る子』

私も夢と詩を持って人生を楽しむぞ!

今日は疲れたのでnoteも終わりにします。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!

おわり

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