新しいことをやらない勇気
先日ロシア語のレッスンにいらした生徒さん、私のレッスンの口コミを書いてもいいということで手前味噌(再)なのですが書きます。
「私にとっての一番最初のロシア語の先生がハルカサンでよかった、勉強したいと思える授業だから」とその生徒さんがおっしゃいました。
これは私のキャラクターが良いということではなく、私が外国語に関し大学時代からお世話になってきた恩師たちが皆幸運にも素敵な方で、その姿勢を踏襲しようとしているからと思います。
その生徒さん、自営業とのことなのですが、その家業のおうちに嫁いで来られてしばらくの間、彼女なりに色々と工夫して新しいお品物を出したそうです。けれども結局お客様は皆さま、昔からあるメニューを好まれるのだとか。
彼女がもう一つ仰っていたのは、ニッチな外国語というのは集中力がものすごくある先生方が多くて、その先生方がやってこられたその集中力のやり方を生徒さんのほうにも同じだけ求められることがある。それが苦しい。ということ。ハルカさんはその辺のバランスがいいので、ということでした。
バランスがいいというか、たぶんそれは私のキャラクターで、私たしかに昔から薄く広く興味があるタイプです。なので、生徒さんが趣味を話すことの聞き役は多少できるのですが、自分からたとえば毎回絶対ロシアクラシックの話をしないと我慢ができないとか、ロシア文学の誰々が好きすぎて、という感じではないですね、たしかに。外国語関係の方、特に研究者や若い方で一つのことに集中力がすごくある方も多く存じ上げていますが、私は昔から薄く同時並行型というか。でもこういうのは人と比べたり比べて落ち込むものでもないので、自分のキャラクターを知るのが大事ですね。
そういうわけで、例えばレッスンの時に生徒さんの質問に答えるために自分で編集した発音の資料を出したり、発音だけのニッチなテキストを引っ張りだして練習してもらうことはあります。あるいは復習をしたいと言われればそういう時間を設定することはあります。でも私編集の資料それだけで90分は使わないようにしているというか、ある程度、無理やり先に進めてしまうというか、ある程度無理やり「ま、とりあえず先に進みましょう♪」と引っ張ってしまいます。
これはミール・ロシア語研究所の進行方法がそうだったからで、復習回というのは基本的に存在しなかったし、授業時間90分全てを発音の資料だけに充てることはなかったからです。やはり受講の方の出来がどうであれ、基本的に毎回先に進んでいました。その代わりただひたすら半期週2回43課をぐるぐると繰り返して、合格しない方は何周も通っていました。私は5周しました。ある程度無理やりひっぱる、というのはグループレッスンでもそうですし、マンツーマンで不定期に来られている方も基本的にはそうしています。
入門の教科書というのはものすごく奥が深いことを1課あたり4頁に凝縮して書いてあるので、ある程度先に進んでからでないとこの文法事項はなぜこうなのか、というのの説明がつかないことがまあまああります。質問に全部こたえようとすると全然進まなくなってどつぼにはまることもありうるというか。範囲を決めない復習回だけずっと何か月も費やすと、できなかったことのほうに焦点がいってしまっておちこむのもよくないです。
そして先生自身のレベルが上がった場合その専門を生かしたことがやりたいと思うのは当然のことなのですが、そうすると結局発音と音読重視の体力消耗型(笑)ミール形式のレッスンって、ミールが2013年に閉校した後、約7年、誰もされなかったわけですね(私が把握しているの限りの話です)。
というわけで、わたしの自作や引用の資料をつかったりすることはあっても、それだけのために90分を費やしたりはしないようにしています。やっぱり昔から自分の先生がたがされていた方法を続けていったほうが結局、ミール形式のレッスンを受けたいと集まってくださった生徒さんのニーズに一番こたえていけるみたいです。
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