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出会いは突然に。

ずっと姉のパシリとして過ごしていた小中高時代。レンタルレコード通いもだが、音楽雑誌も買いに行かされていた。

たまたま手に取った雑誌を開いて見た瞬間に私は脳内に衝撃が走った。
「なんだこの美しい人は!誰だ?知りたい!」
となり、姉に一体誰だ!と詰め寄り尋問。
「本田恭章さん」との事だった。

今までテレビでお化粧をした男性は見ていた。
沢田研二さんが代表格であろう。
「男性がお化粧かぁ…でもカッコイイな」など歌番組を見る度に感じていた。

しかし本田さんは違う。
女性と見まごうばかりの美しさだ。
しかも尊い…。(本当に尊いとしか言えない)

それからの私はパシリではなく貯めていたお年玉を握りしめて、自らレコード屋と本屋を巡りありとあらゆる雑誌と音源を買いまくった。

この時に初めて自分からコンサートのチケットを取ったと思う。
私の初のコンサートは本田恭章さんの渋谷公会堂だ。
ファンの方々のファッションに驚いたのも良い思い出。コスプレとはまた違う異文化だった。

当時の本田さんは深夜の音楽番組にも出演されており、国内外のPVを紹介していたと思う。
またそこで「コレっていいじゃない?」と思うミュージシャンに出会い、音楽雑誌購入に拍車がかかった。

1番買い漁っていたのはアリーナ37℃。
本田さんが表紙の号はマスト。
しかし1冊1番大事にしていたのが借りパクされたらしく手元にない。

執念深く探してやる。

本田さんと言えばシンコーミュージック。
千代田区神田小川町にある出版社だ。

聖地巡礼かよって感じだが、当時は音楽ファッション店のダブルデッカーもあり訪問が楽しみだった。奇抜なTシャツは親に怒られるので買えず、アクセサリーをメインに購入していた。

そんなシンコーミュージックとの架け橋となる運命の出来事が後にあった。
高校3年で行われた就職斡旋先にシンコーミュージックがあったのだ。

進路指導教員に私は全身全霊を込めて「私がこの会社を希望する理由」をプレゼンしまくった。
当時にパワーポイントがあればもっと上手く説明出来ていたかもしれない。

決して好きなミュージシャンが所属しているからという理由だけではない。他にも多数所属していたし。
80年代バンドブームを牽引している事、ファッションにも力を入れて、雑誌のライターさんが書く記事のクオリティの高さなどを訴えた。

今この熱意をPJ獲得の為に燃やしたらいいのにね…。認めたくないものだな。若さ故の過ちというものを…違う!

しかし残念ながら全く音楽に興味がないであろう人がドナドナされて行った。
私も別の会社に決まり何とも言えない悔しさが残った。

親は就職を喜んでくれたのは嬉しかったが、違う違うそうじゃそうじゃない…なんだよ。

でも実はこの時に別のバンドも追いかけていてそちらからはオファーを頂いた。
だが親に反対されて泣く泣く断った。
この件に関しては数年後親子で大後悔した。

あぁまた支離滅裂だ。脈略の無い文章だ。
とにかく私を音楽沼に引きづり込んでくれた本田さんには感謝だ。

まだ大事にしてある巾着💕

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