曲と歌詞㉕
何について書こうか迷ったのですが、今日はまたこの作品について書きたいと思います。
今井美樹さんの「半袖」です。
あまりメジャーな曲ではないし、noteを「今井美樹 半袖」検索してみたら自分の記事が異常に多かったので、またかよ、という感じかもしれませんが、それ位の名作だから、何度でも書きます(笑)。
この曲、やはり「不倫」を歌った作品、という捉えられ方をしているし、自分自身そう思っていましたが、そういう作品ではないのではないか、と思ったことがきっかけです。
確かにそう捉えるのが自然なことのように思えます。おそらく既婚者(とも限りませんが)への愛情を歌った作品ですから。
ただ、この曲の歌詞、そこまで明確なことは書いていないように思えるんですよ。
主人公と相手の関係性がそこまで明確に描かれていないからです。
普段は記事を書く際、引用はしないのですが、これは少し分かりにくいので敢えて引用します。
「あなたは愛してはいけない人じゃなく 決して愛してはくれない人」
これはは明確な部分ですが、その他に関係性を語っている部分は
「さようならさえ言い出さなければ 終わることのない二人だけど」
だけです。
正直これだけでは何とも言えないでしょう。相手を愛する気持ちがあることは分かりますが、相手がどう思っているかは全く分かりません。もちろん険悪な仲ということはないでしょうが、相手との間に何があったのかも分かりません。相手はこの主人公を単なる友人と思っているのかもしれませんし、いわゆる「不倫」なのかもしれません。
そこまで語っていないから分からないんですよね。
これって大切なことだと考えています。
というのも詩は論説文ではないからです。論説文は相手にその内容を伝えるのが目的であり、語らない部分を作ってしまうと分かりにくい文章になりますが、詩はやはり違うんですよ。
まあ論説文でも、人により解釈が異なるようなものも存在しますが、それは文章が難解であったりすることによって生じるものであり、目的ではありません。
ただ詩は読み手に解釈を委ねるものなんですよ。
その解釈が間違っている、と作者が語ったところで、発表された時点で作者の手を離れていってしまうものです(厳密には論説文も同じなのですが)。
まあ音楽であれ、この現象は同様に起こる話ではありますが。
もちろん読みが浅いが故に明らかにおかしな解釈をされる例もありますが(例えば宇多田ヒカルさんの「二時間だけのバカンス」に見られるようなケース等)、詩に「正しい解釈」というものは無いものです。
もしあるとしたらその詩の出来が悪いか前衛詩かのどちらかでしょう。
詩で全てを語ってしまうと、単なる文章に限りなく近づいていくはずです。
つまり「詩」から遠ざかってしまうんですよ。
それは詩にとって「自己否定」に近い行為なんですよ。だからこそ比喩が多用させるし、婉曲的な表現が多くなりやすい。
その点、やはり「半袖」は優れた作品ですね。最初は心象の描写すらなく、風景や香り、視覚に訴える作品になっていて、1コーラス目のBメロの「まぶしい日を浴びて細く美しい腕」で初めて主人公の心象が立ち上がってくる、
でサビで「清らかな空 苦しくて 苦しくて 倒れそうになる」、やはりこの部分は秀逸ですよね。
これってあまり考えられない話ですからね。
清らかな空が苦しくて倒れそうになる、これって明らかに普通の表現ではないです。
でも詩だからこそ許されるし、曲自体が「清らかさ」を感じさせるが故に、この詩に合っているからこそ、逆に奥行きを生んでいるんだと思います。
やはり何度聴いても美しい作品です。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。