アレンジの時代性⑥

宇多田ヒカルさんの影響についてもう少し語りたいと思います。

というよりまずは時代背景です。

80年代以前の洋楽は白と黒がはっきりしていた傾向が強いと感じています。

もちろんこの場合は白黒つける、という意味ではなく、WhiteとBlackとの間にある音楽性の違いです。

もちろん80年代以前もお互いの音楽に影響を与えていたのは紛れもない事実ですが、あくまでも「影響を与える」存在であり、別のジャンルとして存在していたと思います。

最近亡くなった筒美京平さん、洋楽を日本に持ち込んだ、という報道もありますが、あくまでも「白い」洋楽ですよね。黒い部分があったとしても、それは「白」の目から見た「黒」でしかないでしょう。

まあ実際にはこんな単純なものではありません。あくまでも「大雑把」な捉え方を敢えてしています。

ただ90年代になるとこの垣根がどんどん低くなっていくんですよ。どちらかというと白が黒によってきた、というイメージでしょうか。

もちろん、今でも垣根が無くなった訳ではありませんが...。

黒の方の意識も変わってきて、あまり「黒」に拘らなくなったような気もしています。

2000年代の洋楽の停滞も、この辺が一つの理由になっているのかもしれません。音楽に限らず何かが変わっていくのには、「他者」の存在が重要ですから。

「他者」の存在によって「自己」を認識する、これは自然なことだと思います。「他者」がいなければ、「自己」の中をぐるぐる回るしかない訳で、この状態から抜け出すのは難しいでしょう。

で、宇多田ヒカルさんはこの現象が始まってから一定の時間が経過して「出現」した訳ですから、中に詰まっている「要素」が最大化されているイメージです。

宇多田ヒカルさんは当時の日本の音楽シーンにおいて、完全な意味での「他者」であった訳で、そんな人が突然日本に出現したら、やはり「音楽」は変らざるを得ません。もはや、アレンジとかそういう次元の話ではないですよね。

実際に宇多田ヒカル以前と以後では完全に世界が変わったと思います。

これは好きとか嫌いとかいう問題ではありません。自分自身、好き嫌いで言えば、あの頃より「Fantôme」の方が好きですからね。

もちろんデビュー当時の曲も好きですが、今の方が深みがありますから。でもやはり「影響」という意味では、やはりデビューした時の方が遥かに大きいでしょう。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。