日本の作曲家⑯

次も完全な好みで行きます。

鬼束ちひろさんです。

あまりにも「月光」に引きずられすぎているのはハンディキャップですが、誰も知っている有名なミュージシャンであるにもかかわらず、ここまで評価されていない方はいないと思います。

コード進行はほぼほぼシンプルな曲ですよね。

ただこの方のポイントは「詩先」だというところにあるんだと思っています。で、絶対に曲に合わせて詩を変えることはしないらしいです。

実はここがポイントだと考えています。そうすると少なくとも譜割は独特なものになりやすいし、曲にも影響が出てきます。

「King Of Solitude」という曲があるんですが、この曲の2コーラス目のAメロ、1コーラス目と比べて小節数が少ないんですよ。

だから聴き手に「驚き」を感じさせるし、オリジナリティのある作品になっています。

「詩を変えない」って結構厳しい条件なんですよ。曲を意識して書いてあれば別ですが、そういう詩にはそれなりのメロしか付きません。

曲を意識して書いた詩は、やはりそれなりの曲しか付きません。というより大抵誰かの曲の替え歌にしかなっていません。

好きなミュージシャンの曲が頭に合って、それに自分の作った言葉当てはめているだけ、ということが大半です。

プロの世界では詩先自体が極めて少ないですが、特にこういう言葉の羅列で曲を作ろうとしても凡庸な曲しか出来ません。

字脚を気にするなどもってのほか、自由に書いてこそ「詩」です。

筒美京平さんが詩先に嵌ったのも「木綿のハンカチーフ」だっていうじゃないですか。最初はこんな詩に曲なんか付けられるか、と言ったらしいですが、翌日には曲が出来ていて喜々としていたそうです。

「木綿のハンカチーフ」がきちんと整った詩であれば、詩先には嵌らなかったでしょう。整っていない詩の方が、曲を作る時にどう詩に合わせるかをきちんと考えなくてはならないですし、それ故に「曲先」では出来ない曲が出来るものです。

実は「詩先」というのはオリジナリティのある曲を作る上では最短の方法だと考えています。もちろん文字の数なんてどうでも良くて、むしろ内容の方が遥かに重要です。

鬼束ちひろさんの曲が「個性的」であり得るのも、そういった部分に起因していると思います。

しかもかなり変わった詩を書きますからね。「Caslte・imitatation」という曲があるのですが、「脳はケースの中に?」なんて普通の人には思いつかないでしょう。それ以上に「頭脳」ならまだしも、「脳」単体で詩に使って曲を作る方はごく少数かと(笑)。

曲が詩から導きだされていて、かつその詩が変わっているが故の「オリジナリティ」が鬼束ちひろさんにはあるんですよね。

詩を曲に合わせることはせず、曲を詩に合わせる、だかろこそ独自性のある作品が生まれているのだと思います。

詩自体も相当吹っ飛んでますからね。日本で曲を書くことを前提に「この腐敗した世界に堕とされた」とか「爆破して飛び散った心の破片が」なんて詩を書く人は自分の知る限りいません。

その世界観が曲にしっかり落ちているから、曲も独自な世界観を持った曲になるんですよね。



ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。