和声⑨
予告通り今日からまとめに入りたいと思います。
まず「和声」とは何か、という点です。
狭義の意味では次の通りになると考えています。
①ごく限られたエリア(西洋)で生まれ、滅んでいった特殊な音楽理論
②歴史的に見れば、ごく僅かな期間だけで終わった音楽理論
③自らは滅びつつあるが、その後の音楽には大きな影響を残した音楽理論
ざっくり言うとこんな感じでしょうか。
何だか大層なもののように言われても、所詮こんなところでしょうね。
③は大きな意味を持つように思えるかもしれませんが、実際には西洋の力が大きかったから、結果的に影響が大きかっただけで、もし西洋が支配される側の音楽であったとすれば、このような状況はおそらく生まれなかったでしょう。
ただ現実に西洋の力が大きかったのは変えようのない過去の事実なので、目くじらを立てることもないでしょう。
現実として受け入れるしかありません。
ただ、それが結構良く出来ていた、というのもまた事実です。
力関係で言ったら、US、UKが圧倒的に強かった訳ですし、現実にこの2国が及ぼした影響は大きいですが、USはともかく、UKの力が強かった時、この国が音楽的に大きな影響力を持ったかというと、実際は違っていて、衰退してからの方がむしろ音楽に与えた影響は大きかった。
というかあの国、音楽に限らず、文化的な影響力はそれほど高くありません。
実際に音楽でこの2国が世界に影響を与えたのは20世紀以降の話です。
で、その影響力を発揮したのはほとんどポピュラーですよね。だから少なくとも「和声」に関する影響力は低かった。
それだけ「和声」は良く出来ていたんですよ。音楽を分析するツールとして。
実際に使う使わないは別として、和音に「機能」を持たせる、というのはやはりこれまでに無かった発想であり、それが故に形を変えながらこの考え方が世界を席巻したことは紛れもない事実です。
実際我々はコード進行がああだこうだと言いますが、その背景にあるのはやはり「和声」ですから。
その点についてもまとめる必要があるので、その辺を少し考えてみたいと思います。
まとめなのにまとまってなくてすみません…。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。