純邦楽⑮

今日は層の「厚さ」と「薄さ」について記事を書きたいと思います。

層が厚ければ厚い分、色々なものが派生していきます。世の中、必ず本筋から外れる方が一定率で出現するんですよ(笑)。

だから流行っている音楽(音楽に限った話ではありませんが)の方が音楽の幅自体が拡がります。

だから層が厚い、というのはそのジャンルの拡大・発展には大きな意味があります。

まあ拡大とか発展が必ずしもいいこととは限りませんが。

ただ、そのジャンルの可能性は確実に拡がります。

単に拡大するだけではなく、必ず多様化が進んでいく。

だから聴き手にとっても選択肢が増えることになる。

そうすると「いい循環」がそのジャンル内で生まれていくことになります。

逆に「純邦楽」は完全に逆。

まあ彼らのかたくなさも大きな原因ではあるのですが、実はそれを許しているのも「層の薄さ」です。

先ほど書いた通り層が厚いと、必ず言うことを聴かない人が出てくる(正確に言うと出現数が多くなる傾向となる)。

彼らが安穏としていられるのも「層が薄い」が故に閉じた世界で自己完結的に出来るから。

だからこそ音楽にとって「層の厚さ」ということは大きな意味があることです。

それが「外部」へと道を拡げることになるから。

「純邦楽」の閉鎖性もそういうところが大きく影響しています。

なので、「層を拡げる」ということは重要なことです。

明日は一昨日の話で少し考えたことについて記事を書きたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。