作曲・編曲145
今日からは、より根源的に「オリジナリティ」の高い作品を作る必要があるのか、という話について書きたいと思います。
と思ったのですが、そもそもなぜオリジナリティに括弧を付けているのか、について今日は書きたいと思います。
自分自身が「オリジナリティ」に懐疑的だからです。
前にも色々書いてはいるのですが、本当の意味での「オリジナリティ」などある訳がないからです。
当たり前ですが、音楽に限った話ではなく、ある作品の前には先行作品があって、その関係性の中でしか創作活動は不可能だからです。
何度も書いている話ですが、もっと話を拡げると、少なくともこの国で12平均律以外で音楽をやっている方、ほとんどいないと思います。
まだ日本人で日本語以外で文学作品を制作する方のほうが多いでしょう。
どんなに頑張ったところで、これまでの音楽から隔絶したところで作品を作ることは不可能です。
絶対音感ってあるじゃないですか。でもあれも12平均律を前提として成り立っていますよね。全ての音が12音階で聴こえる、ということ自体、12平均律が体にインプットされているからこそ可能な話です。
実際に12平均律でない平均律も存在するし、平均律以外にも音律はある訳で、12平均律でなければいけない、なんて誰が決めた訳でもない。
でも実際、世界的に見てほとんどの人は12平均律でしか考えることが出来ない。
日本語話者でない「日本人」の方がはるかに多いでしょう。
所詮井の中の蛙のようなものです。
では「オリジナリティ」を諦めた方がいいのか。
自分自身、そうではないと考えていますが、大分記事が長くなってきたのと、話を拡げすぎて自分でも収拾がつかなくなったので、もう少し考えなおして、続きはまた明日にでも書きたいと思います。
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