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私にとっての幸せ

こんばんは。
今日は私にとっての幸せについて書いてみます。
そして最近あった出来事も長文だけど。

幸せって定義はすごく難しい。
以前にも触れたが、SNSで人をみるととてもキラキラしていて、
まるで遠いような存在に見える。
そこに感じるのは羨ましさだったり、憧れだったり、色々な感情があると思うのだが、とにかく比較してしまう自分がいるのも事実だと思う。
最近は楽しいことだったり、嬉しいことを共有しているのだから、SNS上で人がキラキラして見えるのは当たり前のことだと思うようにしている。
そして私自身ももちろん楽しいことや嬉しいこと、幸せだったこと、とにかくネガティブな話題をいわゆるリア垢ではあげないようにしている。
だから他人からもキラキラした生活を歩んでいるように見えるのだろう。

私は趣味が多い。
オタ活もたくさんしている。
推しの話をしているときはとても幸せで、イベントがあったらもっと幸せな気分になれる。
でも、それと同じくらい、日常の幸せを感じることが大好きだ。
朝焼け、夕焼け、雲の形、空の変化を感じたとき。
ふわふわのお布団に包まれたとき、クッキーと紅茶をいただいているとき、
飛行機を空に見つけたとき、夏の終わりに秋の匂いを見つけたとき。
こういう日常の幸せを感じない人がいると知ったとき、私はとても驚いた。
思うに、この日常の幸せは、すべて心の余裕から生まれていると思う。
余裕がなければこれらの幸せに気づくことができないし、
見つけよう、作ろうと思うから、このような幸せを感じることができる。

人によって幸せの定義は違うから、
私にとっての幸せが幸せだと思わない人もきっといるだろう。
それでもこの小さな幸せをたくさん見つけて積み重ねていくことは
日々の私にとっての癒しであり、幸せの幅を広げていくことが
自分の成長にもなっているのではないかなって。

ではでは、最近の大きな幸せについて。
オタ活の1つにアイドルを推すがありまして…
卒業コンサートに行ってきたのです、本当に昨日のこと。

彼女の存在をちゃんと認識したのは、彼女が活動を休止した時だと思う。
特に推しメンとかそういう存在ではなかったのだけど、
今思うと相当大好きで憧れの存在だったと。
有名グループのアイドル活動をしながら、自分の夢に向かって頑張る姿、
正直しんどいでしかなかったと思うけれど、それを見せない努力家。
それは卒業した今も在籍中も私が推しているメンバーにそっくりで、
存在をはっきり認識してからは、密かに追いかけていた。
彼女は完璧なアイドルだったけれど、誰よりも不器用で、
だからこそ誰よりも努力していたと思う、本当に完璧なアイドルだった。

「今の場所 受け入れればいい そんなに嫌な人はいない
 やっとわかったんだ 一番嫌いなのは自分ってこと」
この歌詞がとてつもなく響いて、自分が少し嫌になったけれど、
考え方がまた少し変わった、私にとって特別な曲。
最後に彼女がセンターでこの曲を聴けたこと、本当に幸せだった。

「夢をもう一度見ないか 叶う訳がないと諦めた あの日の何かを
 人はそう誰だって みんな過去に持ってたはず 
 大人になってやりたかったこと」
もっと自分も目標に向かって頑張ろうって思うし、
夢を諦めてしまう人、諦めざるを得ない人がいる中で、
自分には夢があって、それを目指せる環境があること、
それがどれほど幸せで、恵まれているのか。

彼女もきっと次の夢に向かって少し休んだら動き出すだろう。
彼女が目指す場所と私が目指すものは全く違うし、比べ物にならない。
そもそも比べる必要もないのだけど。
それでも彼女が頑張っているなら、私も頑張りたいって思うし、
そんな人がいるグループが本当に素敵で、もっともっと大好きになった。
それを感じることができた卒業コンサート。
そんな空間にいくことができた、とても幸せで夢のようだった。




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