「好き」って気持ちの、そのやり方について

noteを見るようになってから、いろんな文章が書ける人がうらやましいなあと思っていて、私も何か書きたいなあと思っていて、でも何について書けばいいかよくわからない。


好きなものについて書けばいいのかな、と思う。

でも、好きなものについてはかえって書けないな、とも思う。


たとえば、” I LOVE YOU ” が、翻訳する人によって「好きです」「愛してる」「あなたのためなら死んでもいい」「月がきれいですね」「幸せになってね」って何通りにもあらわされるように。

「好きだ」という気持ちそのものを翻訳にも、何通りにもやり方がある。


ある人にとって「好き」とは、「いつでも見える場所に飾っておく」ことだ。

またある人にとっては「まいにちお手入れをする」。

また別の人にとっては、「肌身はなさず持ち歩く」「みんなに自慢する」
「一緒に寝る」「いけにえを捧げる」「1万ドルの保険金をかける」…

そして、わたしにとって「好き」とは、「誰にも見つからないようにかくしておく」。


好きだ、と感じるその理由と感覚のすべてを、そのままの形で味わいたい。だれかと共有しなくていい。その完全な形を、自分の中でかみしめていたい。

たとえば、足あとひとつない、まっさらに降り積もった雪。誰かがやってきて、その靴のあとがついてしまえば、それはもう、最初に感動したあの景色ではなくなってしまう。だから、この庭に、誰にも入ってきてほしくない、この場所を知っているのはわたしだけでいい。


好きだって口に出したら、みんながそれに気づいて、いろんな感想を言って、わたしのまっさらな白い庭に足跡がついてしまうのがこわい。だから、大事なものはいつも、誰にもみつからないようにしまい込んでしまう。リスやねずみが木の実を隠すのと同じメンタルなのかもしれない。

難しいなあ・・・。







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