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【3年間のぶんじ寮での傷つきを言葉にしてみた】



いまはぶんじ寮でようやくだだの冷蔵庫を開けるために掃除をできなくて困っていてもわかってもらえない住まいの人でなく普通に掃除を考えなくてもいい自分の人生や暮らしを考える住まいの人にになれました。安心してお読みください

以下はここにかくことはぶんじ寮のことでそこにかかわるひとへ書いたものでなく
だれかをひていするものでないですわたしの感じたことです。わたしはが主語です。あなたはというメッセージは含まれてません。傷つかないでください


あるところから
はなれてみて

働けてない人たちを
忙しいという働いてる人たちが
差別を無意識化し
掃除ゴミ出しで利用していたところのシステム

人としてわたしは
軽視されて
傷ついていたことをかんじている


一つ目の傷付きは同じ立場の住まいを共にしてた仲間からおこる

そのシステムは善意
分け合い
もちよりという言葉で
その傷つきを
なかったことにごまかされていた

わたしがしろといわれないけど
するようにまるでしむけられているようなシステムにかんじ
誰もゴミ袋かえない
ゴミ場があれている
自分の出たゴミすらも他人に捨てさせようとダンボールや割れたものはキッチンに放置をする
髪の毛はそこまま
よごれたまま
だれがすんでもしてしまう人のつらさをなくすように改善したいと言えば
掃除が得意な人にしてもちよりだからと正当化を口の上手い声のでかい人にただされて

仲間からも問題視されず
汚くても外国はもっときたないからと
綺麗好きのようにきになる人がわるいように
うるさいひとのようにつらさを共有しても
問題にすらあまりしてもらえない

適当に真剣にシステムを誰も傷つかない
ように考えていても
まちの障がいを私のようにもち
病とかで働けなくてすこしでも働く自信を自分のペースでできるゆずりは工房のようなばを掃除とかでつくれたらと
提案しても自分ごとのようにこちらの立場で誰もみようとしてもらえなくて働けてる人たちは忙しいからできないから ありがとうというひとか
ありがとうともいわないで自分の忙しいだけを押し付けてきて
わたしはしなくていいそぶりをすんでるところだけするひとなど
同じ場にすんでるのにそこにはたらけてる人たちが自分のすることというしたことのない
してもらってきた(親に)
無意識化のなかで無意識的に
障害や働けないことを都合よく掃除をしてる人を使う人たちがいるようにかんじてしまい
使ってることも知らないこと
が一人暮らししたことないは人たちがそこにいて意識もなく
つらさは募るそして、外部の学歴によりふるいがあるように職業の清掃業につかないような人たちがぶんじ寮や自分のまちへしたいことを好きなようにささて
掃除をする裏方の仕事しかできない学歴などの人たちがぶんじ寮の掃除をしてる押し付けられてる差別されてるような感覚にぶんじ寮でなり
一次被害は住まいの人からおこる

そして、二次被害は
その掃除しないまわりのわたしを受け取る人たちからおこる
プロジェクトメンバーとされる人から
町の人からである
上の辛さをつたえても誰も助けとようしてくれない住まいの人となかよければなお
その人はとてもわたしのことを
悪くいう口がうまいのでそちらのしせんでのみこまれている
あれていくわたしは
わたしの人格でそのうるさいにかかわりたくない
のようにスラックやこのfacebookラインでもでも繋がりを作られているそぶりを反応を見てるけどしない人たちがおおく見てるだけなので思ってしまった
お弁当という衛生管理が本当に神経を使うところがありそれをシステムのないぶんじ寮でするのに
小蝿のわくような冷蔵庫ではできなく
より口うるさくお願いしなければならない事態になって行っても
結局それは困っていてもお願いしても
無視を住まいもお弁当仲間からもされ
わたしが強引にそこを使うために気を遣われせて

そのやり方を押し付けてるように思われて
わたしが悪いとされていく

お弁当するこまるそれを伝えれば伝えるほど

ぶんじ寮にすみ掃除を
だれかが負担におもう傷つくことを避けたいと熱く思うほど
それを言葉にする
掃除を黙ってすればするほど(考えてみてほしいシェアハウスの掃除で自発的に善意でできる広さではないぶんじ寮のトイレは家庭より5倍は大きいのだ)うるさいひと、荒れてるとわたしの病のせいにされおかしい人のように
まわりからもみられ
傷つきを感じてきた。


わたしはいまとてもらくである
冷蔵庫をもう掃除をしたくなくて
捨てまくったら
わたしは、わるものにされた
最後のぶんじ寮へのメッセージを限界でした。

捨てられた人はきずつく被害者ぶっていたが
その程度の人たちなどだと
見切りをつけて

コールドテーブルをもうお願いするのをやめて
冷蔵庫をかう
プロジェクトメンバーのつかう住まいの人が使う対話でなんとかな
お金をかけないための
もちよりは本当に綺麗事だとわかり

最後にお弁当がなければ
3年間同じすまいお金払うまでも

掃除をしない人たちの方に行けなくて
それはお弁当でかなりの冷蔵庫掃除ゴミ出しが絡んでしまい

お金で負担してわたしは冷蔵庫や掃除でもうわたしがお弁当するからそこからはなれたいのに役割はそこにもちたくないのに

そこに持ち寄りのするひとで
いたくないのにきれずにいたから

ようやく三年目にしてきれて。
わたしはみんなと同じ立場の掃除を別にしなくてもいい自分の軸で暮らせる人生をあゆめる
ぶんじ寮にのっとられない
おなじ持ち寄りたいものをもちよれる立場に三年目にしてたてた

ぶんじ寮は
掃除というところでは

3年間
わたしを都合よく使われてきたように勝手におもう。

そうおもわせてるなにかは
きっと
だれにもお弁当仲間にもわかってもらえない
人格否定みたいな
病の理解のように都合よく病や、わたしをみられて
掃除を自分ごとにおもい考えてくれた人が誰もいなかったからだいても
そうじをしなくなるか
ひとりかかえて
つらさを感じてしまう
どうにかしようとアクションをうるさく思うから
掃除をしなくていいと思う人たちをどこか合わせてしまう
そんなひとりが辛さを感じても
ながされていく
持ち寄りのない
強いコントロールしてる人たちの態度と言葉がわたしをそうおもわせてきた
わたしは社会でそんな人を見てきたようなかんじだ

その人たちでなく その人からはなれて
まるで言葉や精神的でなく暴力できでない
加害からはなれたようで
わたしはわたしでいきていいと
自尊心というものがまた復活しているようにおもう

わたしはわたしがわるいというように
ずっといわれてるようで感じる辛さも否定されているようで
おかしい人ようにあつかわれてるようで
掃除という見えないところでかなりの労力をして辛さをいえばうるさい強引とあつかわれて
ばかにされてるようで
仲間として飲みにもドライブにも誘われない仲良し同士でつるむ尊重されないそこが本当に
わたしを大切にされない
虐待された家庭や
駒のようにあつかう職場や
病で働く機能がなくなったり
学歴なく働くところを振り分けられて学びを遠のけられている職業をえらべない無意識権力差別社会
からはなれて自分に軸を戻せた安心安全がいま暮らしにようやくできた

三年たってもわたしの、傷ついた上の意見は変わらず
もちよりや善意にあまえず

ぶんじ寮は広いので
シェアハウスではないので
掃除というシステムは使う町ぐるみでやるか
管理をとり働く人を早くつけるべきだとわたしはおもっている
必要なところへはお金をきちんとはらうことそれが
人を大切にしてることでもあり
人を傷つけないことでもあると学んだ

掃除をしたくないけど掃除をしなければならないシステムに入り込み、ようやく抜けれた普通に住まいの人に同じ立場になれたわたしが安全な場から言えることばである

掃除という役割を社会でときどき
偉そうに技術みにつけてるや、学びをよりしてきた親がいるか自分でそこからぬけれたか
人たちに
働いててもつらさを、かんじるのに
いきてきて
ぶんじ寮の掃除やコールドテーブルの困り事や辛さの問題は
無意識な集団やひとたちに
1番傷ついた人間つながりだった。

その人たちがわたしをみつめる視線がまったくのわたしへの無理解な
病への解釈や
なんかそれもかさなり
わたしを知らない
傷つきを与える振る舞いや態度する繋がりにだけにいまおもえるこわさも後遺症で起こっている

仲良くしたいできない語る前に

わたしをはじめから人として見てもらえなかったので

まず
会話する
はなす

お茶する楽しむことをともにしてほしい それす、させられて

その人たちへ
わたしを人として
対等にかたり時間をすごし
より、わたしを興味持ち
違いを
尊重することされてない

ぶんじ寮への掃除の
意見が違うだけではじめから
あわないと仲間はずれなのだ
わたしの、大切なものをその都度勝手に使われて
勝手に食べられて
わたしが食べたとか無料でお金払わないで食べるように勝手に風潮被害もおこり
そこにわたしを悪くイメージをあたえるいじめすら起こった

意見が違うから入ることはまずないのだ
そのシステムをやめてほしい


人としてあうあわないなかよくできないを感じること経験があまりすれ違いないぶんじ寮の暮らしの中で
意見がちがうだけをさきに行われて仲間はずれさ」た3年間はとても
やまいも精神科か、かってるだけで都合よく
きついことや、バカにされたことも言う人がいたが


わたしはわたしを見てもらえない
最悪な感覚を学んだ

上手く言えないが
だれもがみんながでなくある特定の人たちからだ
きっとその人たちをわたしは、これから避けて言葉を交わすこともしないし
まもるけど

そのなかでもよくしてくれたひともいて
感謝してるそのひとたちは本当につらい役割を掃除しないといけない感覚につらくなってるとき
お茶とか遊びでもつながりをわたしを大切にしてくれても救われた

上手く言葉にできないが
わたしのこの経験へのもやもやは
とてもいいもので

人の集まるところで起こることなので
感謝している

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