ほどよい井の中に住んでいたい(21/08/25)

今日あったこと

・一昨日の夜、急に洗面所の電気が切れた……ところから今日に至るまで、10回以上意味もなく照明のスイッチを押してしまった。ドア開けてスイッチ押すまでの動きが完全に自動化していることに気づかされ、我ながら面白かった。
・店頭で調べて買うのも面倒だしそもそも外出たくないし、とネット通販で買うことにしたまでは良かったものの、「電球だけ注文は勿体ないよな、他に注文したいものなかったか……」などとやっている間に一日経って、結局注文したのは昨晩、当然配達予定日は26日に。
・また買い物下手なところが出てしまったなあ、と思っていたら謎のパワーで配達日が早まって今日届いた。
・むしろ「こんな買い物ベタの自業自得のロスを埋めるためにわざわざ物流に負担をかけてしまった……」と申し訳ない気持ちに。灼熱の外気でホクホクに温まって届いた荷物の温度が身にしみた。

本文

・最近ストⅤ挫折したnoteとか多様性社会で統一基準ベースの判定をすると価値判定が狂うnoteとか読んで色々考えたんですが、ネットによって繋がること、世界を知れること……は必ずしも幸福には繋がらないんだよなと思う。自分の立ち位置を認識してしまうことの残酷性というか。
・井の中の蛙状態も、本人の主観においては割と幸福な状況なのではないか……みたいな話のような気がする。自分の井戸でそこそこいい生活して満足してたのに、SNSで他の蛙の生活を見てみたら他所の井戸は初期条件から違いすぎじゃんみたいな……

・このあたり、ネットで見える「世界」は必ずしも世界そのものの実像というわけではなくて、どんな話題でも極端なところばかり注目されてバズり、実態よりもイメージが増幅される傾向がありそうに思う。結果として「世間の平均値」が実際の平均よりも錯覚された変な所になってしまって、それと自分を見比べた結果当然不幸になって……みたいな。

・だからと言って今更ネット断ってローカルな世界に閉じこもろうぜという訳にもいかないし、「無知は力である」とか言いだしたらディストピア一直線だし。
・模範解答としてはおそらく「価値判断のものさしを他人とか世界に任せず自分の中にしっかり持って、その評価基準で以て自分の行動を評価・肯定しろ」みたいなところになろうとは思いますが……まあそんなもん誰もが出来たら苦労はしない。

・この理屈でいくと、いわゆる成功者のうち一定数はコレが抜群に上手い人たちだよなーと思っていて、近頃世間で自信と自己肯定感MAXな感じの人々が(良くも悪くも)注目されパワーを発揮しているのは、この特性が時代の環境メタに完璧に適応しているからなんだろうなと思う。

・格ゲーの話に戻ってみると、同界隈を見ているとよく「実力の近い友人と一緒に遊ぶ環境があると続く」みたいな言説を目にしますが、これはつまり(グローバルな評価において自分がどの立ち位置であろうとも)「ローカルなコミュニティ内での基準によって自分を評価・肯定できるから続く」ってことだと思うんですよね。
・これを汎化すると、「自分を肯定できるローカル/しばしばクローズドなコミュニティへの在籍」と「その中での相互評価」という逃げ道(?)を持つこと……が一つの解になるのかなと思う。
・とはいえ誰もがそうそう都合よくコミュニティ巡り会えるものではないし、いわゆる駄サイクルに堕ちるのも早そうだし。

・いつでも人間が快く生きるのは難しいもんだなあ、といったところで特にとりとめもなく終わりです。

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