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はじめに

はじめまして。
りえといいます。

アカウントを作ったのは3年も前なのですが、うまく言葉に載せることが出来なくて、ほぼ休眠状態でした。

プロフィールにも少し書きましたが、不妊治療に向き合って来た時間がとても長く、お世話になってる先生方のおかげで何回か妊娠することも出来ましたが、早期・後期流産を繰り返して今に至ります。

不妊の要素も持っていますが、不育症でもあります。

妊娠反応があった子を全員出産する事が出来たなら、5人を育ててる肝っ玉母ちゃんになってたのかな、なんて思うこともあります。

𓆡𓆜𓇼𓈒𓆉 𓆛 𓆞𓆡 𓇼𓈒𓆉

このアカウントを作ったきっかけも、流産でした。
その時は妊娠20週です。
今回は大丈夫なのかも!と少しずつ感じ始めてたこともあり、夫とベビー用品をチラチラ見たりする時間もあったので医師からお腹の中で亡くなってると言われた時は、血の気が引いて目の前が真っ暗になるのが分かりました。

お腹の中で赤ちゃんが亡くなってると分かったのは20週でしたが、実際には4ヶ月目を過ぎた頃に心臓が止まっていたのではないか?とのこと。

その日、病院に行ったのも、朝からお腹が痛くて横になって休んでいても、時間が経つにつれて痛みが強くなる一方だった為、怖くなり夜間の救急に駆け込んで、その診察後に告知されました。


「お腹が痛いのは、私の身体が亡くなった赤ちゃんや使わなくなった胎盤を外に出そうとしているから」

たしかそういう風に説明してもらったと思います。
だから早く処置した方がいい。
その診察から3日目には入院・処置というスピード感でした。

泣いても周りが困るだろうなと外に出た時は、泣かないように我慢してたのですが、家の中ではずっと泣いてる日々でした。

2ヶ月くらいは、毎日泣いてたように思います。

そんな日々も苦しかったのですが、グリーフケアのカウンセリングを受けられる窓口を見つけて、カウンセラーの先生にお世話になりました。

お話させてもらってる中で「気持ちを文字にして出すのも心にいい事」とアドバイスを頂いた事が、アカウント作成のきっかけでした。Twitter(X)よりは、こういう文章を書ける方がいいかなと思ったのです。

アカウントを作った時も、少し書こうとしたのですが、辛い気持ちが全面に出てしまって、悲劇のヒロインみたいになってるんじゃないか?と気になってしまい、結局気持ちが落ち着くまでそのまま何も記録せずにいたのです。

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時間が経った今なら、少し落ち着いて過去を振り返ることが出来そうだし「こんなケースの人もいるよ」って知ってもらえる機会になるかな?と思って、書いてみました。

考えながら書いたけど、ちゃんと読めるものになってるかな。少し気になります。

猫のように気まぐれだし、結構ゆっくりペースだと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

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