遺体
先週、お世話になった元同僚が癌で家で亡くなって、そのお通夜に行ってきた。
死んだ人を見送るたびにその遺体を生身で見るたびに「いつかああなるのは自分」だと考える。
そう考えて最終的には「ひとりでろくでもない死」をするんだろうなと。
自分は毎日のように「自分は生きてていい人間かどうか?」の裁定を考える。
答えはいつも「NO」と出る。死ぬべき人間だと。
自分は「他の生きている人間」より「劣っている」からろくでもない死に方するんだろうなと。
それでも自分は生きている。生きているけど、「生きるべきか死ぬべきか」で結局毎日のようにエネルギーを消費している。
そんな考えは無駄なことだと思っていても、癖になってそしてそれがもう止められない。
自分が嫌いで醜いという理由だ。
だから自分という人間は死ぬべきかどうか自分で裁定して自分で毎日のように自分を殺してる。
だって、自分を救えるのは自分だけど、自分は「救われるべき人間」ではないから、そう考えて自分をまた壊す。そうすることしかできない、知らない。
それ以外に自分という人間を立証する方法なんてないから。
だから自分という人間は壊れてて救いようがなくて、嫌いだ。
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