0027 それは意見なのか、事実なのか
ここのところ、ヒトラーとか、ベルサイユ体制から第二次世界大戦あたりの本を続けて読んでいたのだけれど、もう何が何だか分からない。
資料の読み込みや、誰かの発言や、当時の映像などから、いろいろな角度から、こうだった、ああだったという意見を目にして、軽い絶望感しかない。
当時の空気など、結局のところ感じ取ることができない。当時生きていた人の話だって、どこまで補正が入っているのかと考えだすと、靄がかかってしまう。
時代の外から、そしてほかの国から眺めるそこは、空想が入り込んでいる。断定的な物言いをしても、妄想に基づく意見に過ぎない。解釈という言葉遊びなんじゃないかと惑ってしまう。
事実なんかなくて、当事者の感情だけが真実なのかなとか。(本人が思った、ということだけをとらえて)
見方によって、立場によって、七色に変わる過去の出来事の扱いをどうしたらいいのだろう。そんな過去から学ぶことは、どういったものなのだろう。
歴史から学ぶとは、他人の経験を学ぶという意味だと聞いたけれど、今のところ、これらの本を読んでうすうす感づいたことが一つある。
まだ、仮定の話。
戦争は、なくならないでしょ。
戦争は「絶対に」してはならないとみんなが思わないとだめだ。
課題解決の選択のうち、戦争というカードはないのだと、国民もその時の政治家も、誰もかもが一致団結していないといけない。
そして、当然相手方も「絶対にしない」と思っていなければ、戦争は「絶対避けられない」ということ。
相手が、誰かが一人でも「あいつをぶったおす」と思っていたら、戦争を避ける判断はなされず、遅かれ早かれ、戦争は起こる。
そっと何かが隙間に入り込んで、戦争を呼んでくる。
不可避なのだ。
犠牲者の程度の差だけがあるのだろうけれど。殺し合いは必ず起こる。
私を殺そうと思っている人がいた場合、自分が殺されることを防ぐことが難しいように。
無傷ではすまない。
それだけは正しいんじゃないかという、予感がしている。
だから、もう少し本を読もう。
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