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20231101

長文を書かなくなって1年以上が過ぎて、正直何度も書こうとして書き方を忘れてしまった感覚に襲われて辞めるのを繰り返している。

秋だ。

新しい職場は通勤ラッシュの時間に電車に乗らなくてはならないし、ほとんどみんな無口で、人数が特別多い訳ではないのに名前を知ってるのは右手で数えられるほどしか居ない。

会社から近い蕎麦屋は高くて、遠くなると安くなるから、遠い方の立ち食いそば屋にたまに行くのだけれど、私の注文の時だけ必ず「持ち帰りじゃないよね?」と確認される。社員さんにおじさんみたいと笑われたことを思い出して、おじさんと、おじさんになりつつある人々の間でオレンジ色の服を着ている私がいる。

チャーチベンチに寝そべってステンドグラスを眺めながら浅く眠る。教会に似つかわしくないまま、通い続けている。

わたしには、すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。わたしには、すべてのことが許されている。しかし、わたしは何事にも支配されはしない。(コリントの信徒への手紙一6:12)


1000円出せば天そばが480円で、520円のハイライトが買える。本当は吸わないようにと思って家にタバコを置いて来ているのに、会社の喫煙所にライターがあるのを良いことに買ってしまう。喫煙所で私だけが女で、私だけがスーツを着ていなくて、大半が電子タバコになっている中で、誰とも目を合わせないように3本吸って出る。

富岡製糸場に行ったらしい上司が、別の社員に「見せたくて」と言いながら絹のドレスの写真を見せた(らしい)。私にも富岡製糸場の写真を見せてくれたが、その、ドレスの写真はその人にだけしか見せなかったようだった。着心地が良かったとか、結婚式のお金で新婚旅行贅沢したいとか、まるで当事者のように語られるから、ああ、私が知らなかっただけで、この人は結婚を控えているのだと分かった。

話に入れないと同時に、やはり私だって結婚をしてみたいし、それに付随する何もかもをクリアして生きてみたいと思う。タバコを吸っている場合では無いし、同性婚が認められるまではポリシーに反すると言っている場合でもない。私は私の生き方をしなければならない。でも、だからこそ、まだ駄目だと思ってしまう。支配されないために律している、という感覚だけれど、ただ意固地になっているだけかも知れない。

わたしには、すべてのことが許されている。しかし、わたしは何事にも支配されはしない。