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優しい、とはなんぞや

優しい、とはなんぞや。

 「共感する」が良いことのように言われているけれど、何でも共感すれば優しいのか。形だけの共感は単なるコミュニケーション・スキルに過ぎず、優しさとは言えないのではないか。

 そんなことを考えた。

 上辺の優しさで人を味方につけて、自分に有利に事を運ぼうとする人もいるだろう。そういう人は、うまく事が運ばない兆しが見えると態度が変化するかも知れない。

 では、本物の優しさとは何だろう?

 その人が言う言葉を、よく考えてみる必要がある。優しい言葉であっても、厳しい言葉であっても、なぜそんなことを言ったのか考えてみることだと思う。その人の言葉に従った場合、その先には何が起こるのか。自分にとって、それが希望となるのか、楽になるのか、今より幸せになれるのか。頭の中でシュミレーションしてみることだ。そのときは、可能な限り俯瞰して、第三者の目で見る必要がある。

 もしその結果がYESなら、その言葉は「優しい」と判断しても良いのかも知れない。

 「優しい」と判断できたなら、従ってみるのもひとつの手だと思う。
 けれども、「その人が言ったから」やるのではなく、その人の言葉を検討して「自分が採用したから」やる。責任は自分にあるのだ。自分の行動に責任を持つというのは、そういうことだと思う。

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