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運ばれて

前回の続き。


鬱病になったわたしの前に現れた、昔からの友人。

彼女は、わたしが結婚してから親しくしてきた、他の誰とも、生き方や考え方が違っていた。


彼女とたくさんの会話を重ねる中で、その当時のわたしには、衝撃的だった事がある。


「どうしてみんな、結婚した途端、〜しなければならないの、って言うの?」

「どうして、それは出来ない。わたしは、こうしたい、って言えなくなるの?」


彼女の周りみんな、結婚した途端に、自分の思いは何処かに仕舞い込み、夫や夫の家族、世間の常識に自分をはめ込む、と言うのだ。

どうして?



わたしは、何も言えなかった。

それは、紛れもなく、鬱病になる前のわたしの考え方だったから。

いや、そのときも、まだそうだったから。


自分の思いを通してもいい。

常識と言われるようなことから外れてもいい。


そんな事、考えもしなかった。


彼女は結婚しても、子供は持たずにいた。

更には、働きに行くことも選ばなかった。


その、2つの事で、たくさんの人から、暗に責められるのよ、と言っていた。


それでも、彼女は、周りに屈せず、自分の生き方を貫いていた。


みんな、周りから責められるくらいなら、周りと同じレールに乗っていた方が、楽だから、自分の本音を仕舞い込むのかもしれない。 

わたしはそうだった。


わたしは、彼女と同じ時間を過ごすうちに、自分の本心にどんどん気づくようになっていった。



そんな彼女とも、鬱病が治り、外の世界にどんどん出るようになるにつれ、何故だか疎遠になってしまった。


人との縁ってすごいな、ということも彼女から学んだ。

わたしに何かを伝えるために現れ、伝え終われば、その関係性は終わりを迎える。

彼女以外にも、そんな誰かがたくさん居てくれた。

現れては、消えていく、そんな多くの縁というものに支えられ、わたしは今のこの場所まで、無事に運ばれてきたんだな〜って、思う。








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