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忖度

久々の長い記事でのnote 。
日々 これについての思った事をあげようか?
今の考えた事をあげようか?
瞬間瞬間には思うものの後からゆっくりの時間が取れず 流されるままにそのまま忘れてしまうことがほとんど。

忘れるくらいだから大した事無いことが多く
それはそれで良いのだろうけど。

今回はたまたま仕事でと私的でと同じことを思う事が重なってこんな花曇りの涼しいんだか
あったかいんだかよくわからない日に時間が出来たので コーヒーでも飲みながら....。

忖度…結構前に政治的要素で使われていたのであまり良いイメージを持たなかったのだが
きちんと意味を調べると「相手の気持ちを押しはかる事」とあって 「思いやり」
にも似たような意味にほっこりする。

勝手に付け加えるなら 「押しはかった行動をする」まで忖度として欲しいと思う。

仕事で感じた事の前に一つ愚痴らせて欲しい。
私の母は 忖度したり思いやるということが出来ない。自分勝手というより相手がこういう事嫌だろうなとかこうしてあげた方が良いのかな?
という想像が出来ないようだ。

発達障害とまでの診断を受けていないのでよくわからないが私が幼少の頃からいつも
「どうしてわかってくれないんだろう」
「どうしてこれを悪く取るんだろう」と思う発言が多く不思議に思うことが多かった。
いつだって母の御機嫌の忖度が一番最重要事項だった。

仕事をしていて大人しいがすごく意志の固い子がいる。まだ20代で若いのだけれど組んだ人がみんなやりづらいと訴えてくる。かくいう私も彼女と話しているとどこまで注意すべきなのかすごく迷う時もある。

人付き合いもあまり無いようで物静かだが
自分のやり方を貫いてしまい進捗が遅い。
これがまた忖度のその字に箸にも棒にも
引っかかりもせず頭を抱える。
決して悪い子では無いのだが周りにやりづらさを感じさせるものは出来るだけとっぱらった方が良いと思うのだが育ちや性格もあるので難しい。

さてこう書くとやたら上目線の文章が続いたが私も決して忖度が上手とは思っていない。だが
年代がわかるかもだが今振り返ると携帯が盛んで無い時期に学生時代を過ごして良かったなと思う。
字を書くことが好きだった事もあり 友人と毎日のように手紙を交換した。
学校で会い 帰ってから長電話。
そしての手紙なので どんだけ伝えたいことがあったのか。
今も一部友人から貰ったものを残してあるので開いてみると
これが恐ろしいくらいくだらない同じ内容なのだ。もちろん相手に渡した私のものも全く同じだろ。
好きな子の事。
先生の事。クラスの事。部活の事。
テストが終わったら恒例のボーリングとパフェを食べに行く約束。

大体 相手が書いてきた内容に自分の考えを少し添えて理解を示し 励ますように気分転換の提案を入れている。
好きな子に対しての内容など呆れるほど同じ事の繰り返しで片思いに酔った内容を悲劇のヒロインのように嘆き悲しんでいる。
「K君が廊下でJ子と楽しそうに話していた」
友達からの手紙の内容だと私はそれと同じ場面を見つけたら 大事な友のために飛び蹴りを喰らわすことになっているらしい。
恐ろしい事態になっている。

でも私はこれらで随分相手の感情をおしはかったり 気持ちに寄り添う訓練をした気がする。
携帯がいけない訳じゃない。
私だってそれを使ってこうやって気持ちの整理をしている。
でも どんなにくだらぬ内容でも限られた便箋の枚数に思いをありったけ封じ込めるのに相手の思いを受け止め 自分の気持ちも吐露しそれを以下に効率良く詰めて渡すのには良い鍛錬だったと思う。
私もついついやっちゃうけど 携帯に相談してもなかなかドンピシャな答えって返って来ないもの。
懐かしい手紙...。
折り方まで工夫を凝らしてたよ。
だからか…。
勉強に時間を回さず確かに私は成績悪かった...。