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何故悲しいのか。

いつも 夜寝る前は

 手を洗い うがいをして 目を洗う。

素晴らしき視力の悪さでコンタクトレンズは手離せ無い。

このつぶらなお目々からどれくらい埃がとれたのか いつもこっそり楽しみなのだが

ここのところ 全然液が濁らない。


日中 しょっちゅう 涙ぐんでいるからだ。

いつも 泣きたいのを堪えている。

運転している時も 1人で黙々とご飯を食べている時も 仕事中1人になると 鼻の奥がツンとしてわさびでも食べた気になる。

今日は 仕事中 たまたま割れた陶磁器を片付けた。

集めて袋に入れて 後はゴミ箱へ...の最後の最後でスパッと手を切った。

意外と血が出て びっくりしたけど そんな時でさえ 去ってしまった好きだった人を思い出し あの人だったら  

「馬鹿だなあ。だから気をつけろって言ったろ」と笑いながら 一緒に片付けたのでは無いか?

と勝手に想像して 傷の痛みより心の方が痛くてまた涙ぐんだ。

こうやって私の中の想像のあの人は いつも笑っている。

見た事無いけど私が勝手に決めた綺麗なイメージの女性と幸せそうにしているところをよく想像する。

その人とその人に大事にされているであろう女性は 私の想像の中で

一緒に食事をし

一緒にテレビを見て笑い

一緒に買い物をして夕飯の献立を決める。

いつも笑顔で。幸せそうだ。

そうすることによって 私ではダメだったのだと諦める理由を私自身が作りだそうとしている。

何度 ドボンと心の池に沈めても 急浮上するこの辛さに重しをつけるのだ。

典型的なネガティヴ思考かも知れ無い。

しかし そうした想像の後に

急に身体を動かしたくなったり 自分にあれこれ手をかけて 少しでも綺麗になれるよう自己流でも気を遣いだしたりして 

ネガティヴとポジティブがシーソーの様に パタンパタンと上がったり下がったりする。


早く 調和が取れて シーソーが止まれば良いのにな。 景色を見上げたり 見下ろしたり目まぐるしい。

真っ直ぐ 前だけ見られる様に。

仕方ねえやと笑える様に。

もう少し。もう少し。


頑張れ。私。