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祝・おはDAOコミュニティ!

わたしの大好きな「おはDAO」。
これまでTwitterの中だけに存在していたこのゆるやかで優しい空間が、Twitterを飛び出し、ここnoteで、コミュニティになった。

これはもう大事件。わたしにとっては。
(そしてきっと、おはDAOを愛するみなさんにとっても。)

うわわわわ、始まった。
どうしようどうしよう、新しい何か、素敵な何かが、始まっちゃった。

そんなふうに思った。
冒険の朝みたいに、胸が、どきどきした。


新しく始まった「おはDAOコミュニティ」への、このどきどきする気持ち。

わたしにとって、「おはDAO」とは何だろう。
わたしはなぜ、「おはDAO」をこれほど大切に思うんだろう。

そんなことを、
おはDAOとの出会いまで遡って、
改めてここに書いてみたい、と思いました。

最後まで読んでくださったなら、
この上なく嬉しいです。


「おはDAO」との出会い

1.始まりは、MZDAO

始まりは、MZDAO。
去年の夏、MZこと前澤友作さんが発案したこのアイディアに、悩みながらも「えいっ」と参加したのが、そもそもの始まり。

参加したはいいものの。
自分にいったい何ができるのかわからないまま、日が過ぎる。

どうしていいかわからないまま、
「Twitterは、やらないよりはやったほうがいい」とMZが言っていたからという安易な理由で、錆びついていたTwitterアカウントを、とりあえず開いてみる。

フォロー2、フォロワー0。

さて。
それでこれから、どうしたらいいんだろう?

2.「おはDAOくん」とじゃがさんとの、出会い。

Twitterの森は深い。
そして恐ろしく入り組んでいる。
わたしはここで一体どうやって、
MZDAOに貢献できるんだろう。

心が折れそうになりながら、
とりあえず検索ボックスに
「MZDAO」
と打ち込んでみる。

出てくる出てくる、たくさんの「MZDAO」。
わあ、たくさんいるんだなあ。。。

ぼんやりしたままスクロールするうち、
ふと、優しくて楽しそうなやりとりがきらきら光って見えて、目が留まった。


「おはDAOくんじゃなくて、じゃがさんだったんですね、ごめんなさい!」

「いえいえ、気にしないで!豆つぶくらいの、小さな小さな間違いです♪」

(ある日のTwitter)

ん、どういうこと?
おはDAOくんって、なに?
あ、このアイコン、MZDAOのコミュニティで見かけたことある、
MZからお返事もらってた人だ。
わあ、この人、Twitterやってたんだあ。
えっとお名前は…「おはDAOくんクリエーター…」……
んー、そのあとのアカウント名が隠れて見えない。
まあいっか、とりあえず、お名前は「おはDAOくん」さん?
あれ、でもこの会話で、「おはDAOくんじゃなくて、じゃがさんだった」って言ってるな。
えっと、ええと…

そんな脳内独り言を経たあと、
この楽し気な会話を繰り広げているのが「おはDAOくん」というキャラクターを作った「じゃがさん」というクリエイターさんだ、
ということをようやく理解する。
楽しくて優し気な会話を眺めているうちに、
ふと、話しかけてみたくなった。
だって、こんなに楽しくて優しそうな人なら、もしかしたらわたしのことも、受け入れてくれるかも。

3.初めての、「はじめまして」

Twitterで誰かに話しかけるのは、
これが初めて。
どきどきしながら、話しかけてみる。

「はじめまして。お仲間に入れていただけたら嬉しいです」

きっと忙しいだろうし、
そんなにすぐに返信なんてこないだろうな。

そう思ってスマホを閉じようとしたとき。
……ピコン。

「ここにはたくさんの素敵なMZDAOメンバーさんがいます♪ 一緒に楽しんでいきましょう!」

じゃがさんからの、お返事。

ひとりぼっちの深くて暗いTwitterの森の中に、すっと明かりが差し込んできたみたいだった。


「おはDAO」って、なんだろう

わたしにとって「おはDAO」って、
なんだろう。
わたしはどうして、
おはDAOが大好きなんだろう。

1.ただの挨拶、だけど。

「おはDAO」。
それは誰のものでもない、ただの挨拶。
ちょっと変わってて、最初に言うときは少し勇気が必要で。
だけど、自分の発した「おはDAO~」に誰かが挨拶を返してくれた瞬間に、
ひとりじゃないんだという気持ちになる、
ふしぎな言葉。

広くて深いTwitterの森にいるのは、
MZが掲げた「MZDAO」という松明のもとに集まった人たち。

年齢も性別も、性格も属性もキャリアも好きなものも何もかも違う、多様性のるつぼ。
これほど多様な人たちとどこからどう繋がったらいいのか、途方に暮れる。

だけど、挨拶なら。
挨拶なら、誰にでも、言える。

年が離れていても、好きなものが違っても、属性が、キャリアが違っても、
挨拶だけは、みんなおんなじ。

少しだけ勇気を出して「おはDAO」と言えば、その声は誰かに届いて、振り返ってくれる、気づいてくれる、繋がれる。

2.ゆるやかに、つながる

「ゆるやかに、つながる」。
じゃがさんが、いつも言っている言葉。

「おはDAO」を取り巻く空気は、いつも優しい。
ゆるゆるで、風通しがよくて、出入り自由で、誰にだってウェルカムで。
そしてなにより根底には、
いつも愛が溢れてて。

「やらなきゃ」は、ひとつもない。
毎日でも、お久しぶりでも、いつでも。
みんなが「おはDAO」の場に集まるのは、
ただ、そこに行きたいから。

3.ありのままでいられる、サードプレイス

「サードプレイス」。
家庭(第1の場)でも職場(第2の場)でもない、第3のとびきり居心地のいい場所。

「父親」「母親」「専門職」「専業主婦」etc.etc.……

そういう社会的なラベルは
一旦ぜんぶ肩から降ろして、
ほかの誰でもないありのままの自分で、
ほっと一息つける場所。

「おはDAO」はまさに、そういう場所。

そこにあるのは、心の通った会話だけ。
社会的地位も外見もキャリアも、
一切合切関係なし。

短い挨拶だけでもいいし、
話し込んでもいい。
黙って誰かの会話を見ているだけでもいい。

みんながここに集まるのは、
ただここに、来たいから。
義務も約束もなく。
いろんな人が気ままに集まるカフェみたい。

そしてもしかしたら、
「おはDAO」の一言のうしろに死にたいくらい苦しい気持ちを抱えて、
この場所でほんの少しほっとすることで、
今日も一日乗り越えてみよう、
と思っている人も、いるかもしれない。
そんな場所でも確かにあって。

そんな場所、なかなか見つからない。
少なくともわたしは、
ほかにそういう場所を知らない。
だからわたしは、
「おはDAO」がとても大好きで、大切。


「おはDAO」コミュニティで、新しい景色を。

1.新しい景色は、まだおぼろげだけれど。

そんなわたしの(そしてきっとみなさんの)大好きな「おはDAO」が、Twitterを飛び出した。

「おはDAOコミュニティ」。
それっていったい、なんだろう。
船頭じゃがさんが目指す先は、どこだろう。

新しい景色は遠すぎて、
わたしにはまだぼんやりとしか見えない。
でも、素敵なことが始まったんだ、と、
直感が告げる。

胸が、どきどきする。

2.ひとりじゃなく、みんなとなら。

「楽しむことで、こどもたちを笑顔にする」?
それっていったい、どういうことだろう。
わたしにできることなんて、あるのかな。

いろんなことが思い浮かぶけれど、
でもそこで、ふと思う。

わたしは、一人じゃない。

行く先を見つめる船頭のじゃがさんと、
おはDAOのゆるやかで優しい空気を一緒に共有してきたみんなが、いる。

わたしひとりじゃなく、みんなとなら。
おはDAOの空気を好きだと感じて自然に集まったみんなとなら、
今まで通り楽しみながら、笑いながら、
新しい景色を見に行けるかもしれない。
地図の外に出て、新しい価値を、
つくっていけるかもしれない。

そんなふうに、思います。


おわりに

そんなわけで、
わたしは「おはDAO」が大好きです。
新しく始まった「おはDAOコミュニティ」に、すごくどきどきしています。

じゃがさんの記事を読んで思わず泣いてしまった同じ気持ちのみなさんと一緒に、
これから先も続いていく優しくてたのしい場所をつくっていけたなら、
この上なく嬉しいです。


最後まで読んでくださって、
ありがとうございました。

じゃがさんの素敵な記事をもう一度読みたい、という方は、こちらをどうぞ♪


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