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好きな天皇賞春②~1997年マヤノトップガンと天才と言われた騎手~

はじめに

京都競馬場、ついにグランドオープンだね。
俺が競馬をリアルタイムで観始めた頃は改修の真っ只中だったから、かなり新鮮な気持ちなんだよね…

そういうわけで(?)、今回は改めて俺の好きな天皇賞春(以下、春天)について語ろうと思う。

今回はマヤノトップガンが勝った1997年の春天について。
脚質自在と言われたマヤノトップガンが後方から追い込んで勝利した面白いレースだった。
特に、マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーの「三強」、さらにそれぞれの鞍上についても印象深く思ったので、書いていこうと思う。

レースについて

早速だがまずはレースについて。

前年の春天や有馬記念を勝ったサクラローレル、前年の秋は不調だったが前哨戦の阪神大賞典を捲りで勝ち、復調の気配を見せたマヤノトップガン、この2頭に食らいついて善戦しているマーベラスサンデーが人気を集めていた。

これらの3頭が「三強」と言われていたが、当時の戦績や人気を見る限り、力関係はサクラローレル>マヤノトップガン>マーベラスサンデーというところだったんじゃないかと思う。

鞍上はマヤノトップガンが田原騎手、サクラローレルが横山典弘騎手、マーベラスサンデーが武豊騎手。

そういうわけで、レースが始まると1周目の坂の下りで4番のマヤノトップガンはかかったのか内から上がっていったが、しばらくすると折り合いがついて後方でレースを進めた。

その後、2周目の坂の上りでレースが動いた。
サクラローレルが一気に上がって2番手まで進んだ。
YouTubeに投稿されている関テレの動画では実況の杉本さんは「かかった」と心配していた。

ローレルを追うように後方にいたマーベラスサンデーも進出し、直線に入った頃に先頭のビッグシンボルを交わし、ローレルとマーベラスのマッチレースになったかに思われた。

しかし、4コーナーで外に出していたマヤノトップガンが強烈な末脚で迫り、内で叩きあう2頭を並ぶ間もなく交わして1着となった。

この時の杉本さんの「トップガン来たトップガン来たトップガン来た!」という実況は初めて聴いたときから強く印象に残っている。

このレースの勝ち時計、3分14秒4はレコードだった。
1993年にライスシャワーが記録した3分17秒1を2秒7も更新したことになる。

これまで先行や逃げで戦ってきた馬が6歳になって捲りや追い込みで勝ちきるという脚質自在さ。
導いた田原騎手は本当に凄いが応えたマヤノトップガンも強かったからこそ応えられたんだろう。

俺はウマ娘から競馬に入った身なので、こうして史実の競馬を辿ると、「三強」のライバル関係を深堀したストーリーが見たくなった。
まあそれがサクラローレルを主人公としたコミカライズ作品「スターブロッサム」なのだろう。
非常に楽しみだ…

まとめると、レースの中で印象に残ったのは
・これまでになかった後方からの追い込みで宿敵を倒し、レコードまで叩き出したマヤノトップガンの強さ、凄さ
・「トップガン来たトップガン来たトップガン来た!」という杉本さんの名実況
・サクラローレルとマーベラスサンデーも4着以下を大きく離した2,3着を確保し、矜持を見せたこと

なんせ、「三強対決」でそのまま三強で決まることは珍しいようなので…

あと、4着のステージチャンプもすごいよね。
ライスシャワーが勝った1995年の春天でハナ差の2着まで迫った馬として有名だけど、8歳で4着に入るのも息長く活躍していてすごいなと思う。

「三強」の鞍上

このレースにおいてはレースや馬はもちろんだが、騎手についても面白いところがあると思った。

以下の記事を読んだ際にそう思った。

この記事の2ページ目について、田原騎手によるとキャリアを重ねるうちにマヤノトップガンの走り方が変化していることを感じていたそうだ。
リズムに乗って走れるようになるまでの距離がだんだん長くなったようで、6歳時の阪神大賞典から後方待機の競馬をし、それが馬に適していたということなのだろう。

そして3ページ目では、サクラローレルと横山騎手が2周目の坂の上りで前に行った際に、マーベラスサンデーと武豊騎手もすぐに続いたこと、しかし田原騎手は焦ることなく後方待機を続け、折り合いに専念したことなどが書かれている。

つまり、自分ではなく相手を見て動いた武豊騎手と、相手ではなく自分の馬を最優先した田原騎手の対比を暗示しているのだろう。

それに、記事の4ページ目で田原騎手が記事の筆者に伝えたという「ハマったというよりも俺がハメた」という台詞はすごくかっこいいと思った。
天才と呼ばれた彼だからこそ、馬の変化を察知し、後方からの競馬を躊躇わず、結果も伴わせることができたのだろう。

知っての通り、武豊騎手も横山典弘騎手も今なお健在で素晴らしい結果を残しているが、この当時は2人ともまだ20代で若かった。
そこに、ベテランに差し掛かっていた田原騎手が馬とともに意地を、天才と言われた男の背中を、若かりし頃の名手に見せた。

このように、この年の春天は騎手という側面でも非常に印象深く、語るうえで欠かせないと思った。

おわりに

以前書いた、1995年の春天もそうなのだが、1997年当時も俺はまだ生まれてすらない。(↓よければ読んでね)

自分が生まれる前の競馬にもここまでどっぷりとハマらせてくれた、YouTubeをはじめとしたインターネットの発展と、競馬の面白さや魅力を教えてくれたウマ娘というコンテンツには感謝してもしきれない。

それにしても、今年の春天までもう1週間しかないのに、10日以上好きな春天を語る記事を出せなかったのは反省だね…

あと1週間でどこまで紹介しきれるかな…(笑)

次はゴールドシップが勝った2015年のレースについて書く予定なので読んでくれると嬉しいな。

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