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レーシックを受けてみた 手術後~

手術後、すぐに家に一人で帰るのだが、ここからがホントの試練だった。

麻酔が切れ、目が沁みて涙が止まらない。
涙で前が見えない。そもそも目が染みるので目が開けられない。

そんな状態で強行的に帰ってしまった。
有楽町のイルミネーションをかき分け、何とか電車に乗る。

目は開けられず、ただ涙と鼻水が永遠に出てきて、鼻をすすりながら涙をポタポタ落とす。傍から見たら大失恋メンヘラ男だろう。

電車をおり、涙と鼻水を垂れ流しながら(あまりの量にティッシュをすでに使い果たしてしまった)、駅の人ごみをかき分け、家路を急ぐ。
周りから指を指されているのだろうが、それも見えない。

もし誰かに優しく声をかけられていたら、絶対に好きになっていた。絶対に。
逆にいつか同じ状況の人を見たら声かけよう。。


ほぼ目を閉じながら、たまに薄目を開けて方向を確認しながら家まで歩く。
さすがに危ないので、前を歩いている人の後ろにべったりくっついて、足音とかを頼りに歩いた。
傍から見たらストーカー、いやストーカーはもっと距離とるか。。

ようやく家についた時の安堵感たるや。
ただ、まぶしすぎるので電気はつけられず、常夜灯で過ごす。

麻酔がきれて目がしみて痛い。
目はあまり開けられず、暗い部屋で何をするでもなくただ痛み(?)に耐える2時間。
精神と時の部屋のようだ。

ラジオが好きで良かった、視界を奪われた時の唯一の娯楽。
芸人ラジオを聞いて乗り切る。
暗い中で飯を食う。視界を奪われても、何を食べているか把握できるし、痛みに耐えた後のご飯は美味しい。

家のどこに何があるのかを把握できているので、明かりがなくても手探りで生活できた。

一日寝て起きたら、痛みも引いて、目を開けられる。
そして、、見える!

「人生が変わる」と聞いていたが、そんなことは無い。
感覚でいうとコンタクトしたまま寝てしまって起きた時の感覚。

無理にでも「人生変わった」と感じるような努力をすべき。こんなんだから年々、感情の起伏がなくなっていき人間らしさを失っている。

なので、カーテンをバッと両手で開けて、太陽を浴びて、「わー見えてる!!」という子芝居みたいなのは、やってみた。
  

所感

昨日の目に「お疲れ」と言いたい。
一日で一生分の涙を流した。麻酔やら薬剤やら色々かけられて、こんな酷使された日は無いよな。

レーザーで目玉を削るって、こんな手術をしようとした一人目の人マジですげーと思った。

基本的に視力が良くなって快適。視力が悪かった頃のボンヤリ視界がちょっと恋しくなるときもある。 

遠くが見えるようになった分、近くを長時間、見るのはちょい疲れる。
あと、不便だと感じないが少し暗いとこで視線を移すとき、焦点を合わせるのがコンマ何秒遅れるような気もする(術後時間たてば改善するのかも)。

夜は月や星が綺麗に見れるようになった。
素で「月がきれいですね」って言葉が出る。
夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した話があるけど、冷静に考えたらもっと良い表現あったよなとも思う。
急に「月が綺麗」といわれても好意と捉えられる自信がない。


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