【創作】香りの記憶

帰宅ラッシュの殺伐としたホームで、ふと懐かしい香りとすれ違った。
反射的に振り向いたが、視線の先には知らない背中。
思わず苦笑いがこぼれた。
 
もう、あなたはいないのに。
 
突然家を訪ねてきたかと思えば、何も言わずに一人で出かけたり。
猫のように気ままで、鳥のように自由で。
振り回されたけれど、私にはそれが新鮮だった。
「香水?つけてないよ?」
答えを知っていながら、ついつい聞きたくなる。
そんな香りだった。

いつからか連絡は減り、自宅への突撃もなくなった。
こちらから連絡しようにも、いつだってあなたのペースだったのだ。
これ以上は、期待できない。
この部屋を、この街を出る決意を固めるのに、時間はかからなかった。
 
きっと私はこれからも、この香りと共に思い出すのだろう。
「匂いと記憶は、密接な関係にあるんだよ。」
そう言って、茶目っ気たっぷりに笑った、あなたのことを。
 
『扉が閉まります。ご注意ください。』
 
アナウンスに促され、私は電車に乗り込んだ。
雑多な空気が鼻腔をくすぐっていく。
さぁ、次の街に連れて行ってもらおう。
新たな香りとの出会いはあるのだろうか。

スーツケースをぐっと握りなおした。
窓の外、流れる景色に思い出を重ねながら。


2022.9.26
「わんでい劇場 おじさんはロマンスの神様」

投稿日現在やっている「この曲でこのセリフ」の前身。
お題もなく、妄想をぶっ飛ばして数々名(迷)作が生まれた。
それが最終回になる、ということで、次への期待も込めて書いたもの。

元々はもっと未練たらたらだったのを路線変更している。
ちなみに、嗅神経は直接脳に入るから、記憶と繋がりが強い、らしい。(真実は不明)