「一人」の責任という気楽さ

そういえば私は「連帯責任」という言葉が嫌いだった。
一般的にもいい意味を持たない単語ではあるが、明確に嫌いだと感じたのはやはり実体験に基づくからで。

高校生の頃だった。
一つのグループで学校内の施設に二泊三日で滞在し、家事を何から何まで自分たちでやるという家庭科のカリキュラムがあった。
少し古臭い考えを持つ女子校だったからか、まあ「女性であれば家事をひと通り出来るように」という思惑があってのことだろう。

私はこのカリキュラム、グループ分けの時点で最悪なものになることを察していた。
出席番号順で分けられたそれは、自分以外の5人の誰もロクに話したこともなければ苦手な子もいた。先生たちが「問題児」と考えている子もいて、私はそんな中でリーダーを任された。

自分たちのご飯の献立を考えなければならず、頑張ってメンバーの意見を聞き、幾度も先生へ提出してはやり直しを要求される。
私はこの時に「人間って本当にストレスで胃を痛めるんだ」と知った。

宿泊当日も散々だった。
担当してくれる高齢の家庭科教諭はなかなかに癖の強い人で注意する時の語気も強い。言葉遣いもことごとく訂正された。
当時の料理に不慣れな私はみそ汁にワカメを入れようとした所、包丁で切ることを忘れて大量に連なったワカメたちを鍋にぶち込むなどした。これは完全に自分が悪い。

最終日の夜。
自分たちで敷いた布団の中で、ようやくこの地獄から解放されるのだと気を抜いて私は眠った。

すると翌朝、メンバーの内2名が校庭を走らされていた。

何が起こっているのか分からない。が、話を聞くところ、その2人は夜中眠れなかったのかふざけていたらしく、それを怒られたらしい。

「昭和かよ」と思った。
生憎、当時は平成真っ只中であった。
カリキュラムが終わる頃だったか、先生に「これは連帯責任だから」と言われたのを覚えている。

そして実際に学期末に見た通知表。家庭科の欄には、私がこれまでの人生で見たことのない「2」の数字があった。今まで最低でも「3」止まりだった私はそれはもうショックを受けた。
そして「連帯責任」の最悪さをその身で感じたのだった。


という出来事を思い出したのも、今の仕事が「連帯責任」だからだった。
自分の成績が悪ければ先輩や上司の足を引っ張る。
具体的に言うと誰かの成績が悪ければチームに対する手当てなどが減る仕組みだ。おまけに今の私は全く成績を上げられず、先輩の成績を折半してもらっている状態。

情けないと思う反面、もう気にしないでくれと思わず言いたくなる。
嫌いなものとは、環境が変わってもどこかにいるらしい。

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