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「国際法の分断化」と「純一性」の理念

現実においては、各人の世界観・法律観は多様であり、相互に相争っている。何が正義か争われている現実において、正義が法価値であるがゆえに、国際法もまた、分断した世界に応じて、その解釈が当然に分断せざるを得ないのではないか。学者の間では、国際法の分断化(fragmentation of international law)が論じられてきた。

法には、解釈規則という分野があり、法をどう解釈すべきかが検討の課題である。国際法の分断化を現実として受け入れた上で、われわれは、法をどう解釈「すべき」かという規範レベルで、討論する必要がある。

そこで必要となるのは、相争う正義観に共通の土壌である。それは、正義の形式であり、「法の前の平等」または「法の下の平等」の要請である。国際法上は、国家平等の原則に含まれる一般原則である。

この要請は、「等しき事例は等しく扱うべし」という標語で表現される法理であり、法が整合的な原理にしたがって首尾一貫した仕方で扱われるべきことを求めるものである。ドゥオーキンは、これを「純一性」(integrity)の理念と名づけている。

ドゥオーキンによれば、純一性の理念は、各人が平等な配慮を受ける権利を持っているために、誰も二級市民として扱われないということが、重要な政治的価値だと考えられるがゆえに、大事な法価値となるという。

民主化された現代国際社会においても、国家平等の原則は、国際法の基本原則であり、国際法において第一義的な法主体である国家は、「法の前の平等」に基づき、対等に扱われることを基本としている。

法解釈においては、実定法を体系的に整合性をもって解釈することが「要請」されており、法実務家は、すでに作られた法と一定の整合性を確保しながら、自己の法解釈が進行中の事例において、最善の解釈となるべく努力し、原理の整合性を背景に法的判断が示されなければならない。

ドゥオーキンによれば、法解釈は拘束された自由な判断である。

<参考文献>瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕『法哲学』

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