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ミッドナイトスワンを観てからの感情を吐き出す


ミッドナイトスワンを最初に観たのが9/28。それから毎日この映画のことを考えている。一度このぐるぐるとした感情を吐き出さないと延々と考え続けてしまうと思い、noteを使ってみようと思い立った。


なんで私はこの映画のことをずっと考えてしまうだろう。車で片道1時間。4回観に行った。好きなアニメの映画とかでは4、5回観に行ったことはあるが、邦画では初めての経験だ。

初めて観たときは凪沙さんの感情が私の中に入ってきてずっと泣いていたんだと思う。「なんで私だけ…」そうだよね。どれだけ苦しくて、どれだけ悩んでも、どうにもならない現実がある。頑張ることすらできない。周囲の、おそらく深く考えていないだろう言葉に、チラと向けられる視線に傷つく。

一果に向けた「うちらみたいなのは一人でも強く生きてかなきゃいけない」って言葉。中学生には残酷な言葉だと思った。だけど凪沙さんはその言葉ですらも誰にも言ってもらえなかったんだ。誰にも何も言えずに、自分一人で抱えていかなきゃいけなかったんだ。

凪沙さんの、「お母さん」と言われたときの嬉しそうな顔が忘れられない。決して明るい映画じゃないのに、思い浮かぶのは凪沙さんの笑顔と、公園での穏やかなひとときだ。


りんは両親が健在で、家はお金持ちで一見恵まれてる。学校から帰るとお父さんもお母さんも声を掛けてくれる。でもあの2人からの「学校どうだった?」という言葉のなんと薄っぺらいことか。

りんはバレエが好きだったんだろう。もしかしたら母が「バレエが上手な娘」にしか興味がないから、見せかけだけの親子を繋ぐ最後の糸に縋っていたのかもしれないけど。病院で、バレエの道を断たれたと同時に、母親からの「この子からバレエを取ったら何も残らない」という言葉に心を殺されたのだ。

それでも、私は、屋上でりんが踊っていたとき、少なくとも親だけは最後までりんを見ていてくれたら、りんは飛び降りなかったのではないかと思う。(小説では皆見ている中だったけど)りんの孤独に寄り添ってあげられる存在が、一果にとっての凪沙さんのような存在がいてあげられれば良かったのにと心から思う。

この映画は確かにトランスジェンダーの映画ではあるが、それ以上に凪沙の、一果の、りんの、瑞貴の、この映画に出てくる全ての人間の、人生の一時の話なんだと思う。みんな、自分一人の力じゃどうしようもない生きづらさの中で生きてる。ただひたすらに現実を生きてる。

それでも誰かと出会ったり、夢中になれるものを見つけたり、暗くて残酷な世界の中に、小さな光を、穏やかな時間をみつけて、どうにかこうにか生きてくんだろう。

この映画は、人の感情を動かす。誰かの何かを変える力を持っている。揺り動かされた感情も、観終わった後に変わった何かも、きっと大切なものだ。辛くて、苦しくて、でも暖かい。ミッドナイトスワンを作ってくれた全ての人に感謝したい。この映画に出会えて良かった。

そして一人でも多くの人がこの映画を観てくれますように。


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