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70年代ラテンのエディーパルミエリのアルバム紹介 その2

ラテン音楽啓蒙シリーズ。前回に引き続き70年代ラテンの最重要人物であるエディーパルミエリのアルバム紹介する。

前にも紹介しているようにNY生まれのエディーは50年代から音楽の仕事していて着実な人気はあるが、70年代を迎えてどうしても新機軸が欲しくなってきた。そんな中ヒット出す。70年のヒット「Vámonos Pa'l Monte」だ。邦題は「山へ登ろう」。歌詞はずっと「山へ登ろう」を繰り返すだけ。ハイキングの歌ではない。この頃のアメリカのヒスパニックと黒人は公民権運動等で爆発寸前だった。それのアナロジーだ。

キーボードもエレピや電子オルガンを多用するようになる。新しい雰囲気だ。ジャケットも古臭いラテンではなくてアートで良い。

このヒットを受けライブアルバムを連発することになる。古いラテンではなく、エレクトリックと社会運動を軸にハードラテン音楽を畳みかける。ライブアルバムにもれなく兄のチャーリーパルミエリが参加している。チャーリーもエディーもジャズができたのでライブで生えるプレイが得意だった。こういった数少ない映像を見るだけでも当時どれくらいとラテンが盛り上がっていたかが分かるだろう。

そんでアルバム紹介だけど正直どのタイミングでどのアルバムが出ているかが良く分からない。おそらく71年から72年くらいの間だと思う。

「Harlem River Drive」。エディーがファンク系のメンバーとレコーディングしたラテンとブラックが融合した問題作。レアグルーヴのマストアイテム。

「Live at Sing Sing」。ニューヨークのシンシン刑務所でのライブ。ハードサルサの名盤。知り合いが多数収監されていたのでライブをしたとか。

「Live at Sing Sing 2」。同じくVol2。ハードサルサの名盤。シンシンライブではハーレムリヴァードライブも合流している。

「Live at the University Puerto Rico」。プエルトリコ大学でのライブ盤。ハードサルサの名盤。

このあたりのエディーのアルバムが混沌としているのはラテンの老舗レーベルのティコ(TICO)から離れたため配給元が決まらなかったからだ。とにかくティコレーベルのやり方はセコくてやってられなかったのだとか。

それと同時にティコ(TICO)はファニアレーベルに買収された。エディーはファニアレコードなんかよりも人気があるとおもっていたためかこの時点でファニアに合流することはなかった。ファニアはティコレーベルの大物であるセリアクルーズやティトプエンテを獲得してファニアオールスターズをさらに派手にした。

エディーはこれらのアルバムがアメリカで大ヒットしたためココ(COCO)レーベルを自ら立ち上げて活動することになる。

つづく。

おしマイケル。

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