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70年代ラテンのエディーパルミエリのアルバム紹介

アメリカラテン音楽啓蒙シリーズの続き。70年代アメリカラテンの最重要人物としてエディーパルミエリを紹介することにした。

日本ではラテン音楽はすっかり無視されている傾向にある。例えばアメリカのブルースやジャズみたいな渋い音楽を聴く人でも同じアメリカのラテン音楽は全然聴かないし、フュージョンやクロスオーバーといった音楽はロックやジャズの他に少なからずラテンの要素もあるけど、誰も本来のラテン音楽に見向きもしない。なので私は紹介し続ける。

そんでエディーパルミエリだけど、30年代ニューヨークのハーレム生まれ、兄のチャーリーパルミエリと一緒にピアノをマスターする。

50年代の終わりにはアメリカラテンの超人気者だったティトロドリゲスのバンドに参加していたという。ちなみにティトロドリゲスは甘いマスクで当時大人気でテレビ番組も持っていた。

エディーは60年代に入るとティトのバンド抜けて自分のバンドを結成する。62年の初のエディー名義の「La Perfecta」は重要なアルバムだ。ピアノのエディーとリズム隊以外にトロンボーン二人入るというアメリカラテンの基本的な構成を作ったと言われている。

エディーの60年代の活動は重要で多産だが、正直この間の活動は良く分からない。特にカルジェイダーというラテンジャズのヴィブラフォン奏者と一連のジャズアルバム出したりしているがそれも良く分からない。白人の音楽に比べて驚異的にCDが手に入らない。誰か教えて欲しい。有名なラテンレーベルのアレグレ(ALEGRE)、ティコ(TICO)からかなりの枚数を出していると思われるが良く分からない。YOUTUBEを見ていて始めて分かったくらいだ。

それと重要なのはイズマエル・キンターナというアメリカラテンの重要なボーカル(後にファニアオールスターズのメンバー)と活動を共にしているということだ。

とりあえず69年のアルバム「Juticia」から始めるとする。基本的にバンドの編成は変わっていない。ボーカルもキンターナだ。ここから70年代のエディーの快進撃が始まった。

その後に名盤と呼ばれるようになった70年の「Superimposition」。ジャズやファンクのような新しい音楽を加味しようとした。ジャケットも今まで古臭いものだったがその時代風にサイケデリックになった。またハードラテンと呼ばれるようになったのもこの頃だ。スティービーワンダーの「talking book」みたいなところか。

注意したいのはこの頃のラテン音楽のレコードの売り上げなんてたかが知れている。もっと言えば全然売れない。しかも同じような音楽の繰り返しで煮詰まってきていた。もちろんエディーもそんな感じだったらしい。さらに輪をかけて当時エディーが所属していたラテンの超老舗レーベルのティコ(TICO)もボッタくり体質で一日でも早く離れたいと思っていた。ジャズのPrestigeやRiversideみたいなものか。新興のファニアレーベルも出てきた。どうしたら新機軸出すかがこの頃のラテンミュージックの課題であり、エディーの課題だった。

つづく

おしマイケル。

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