皆さん、こんにちは。
「ムー(高い声)」
これはシカの鳴き声です。
2月の22日23日で奈良へ行きました。

学生として最後の冬、そして最後の長期休みなので、奈良に行きました。思えば、初めて学生として旅行に行ったのも、奈良でした。つまり小学生の時、修学旅行で訪れたのが奈良でした。京都ももちろん行きましたが、印象に残っているのはやっぱり奈良でした。大仏がすべてを救ってくれるような気がしました。何かを取り戻すべく、奈良へ向かったわけです。

第1話 興福寺
安くて狭く、薄くてうるさい宿から歩けば、10分ほどで大きな池に突き当たります。そして、その近くにあるのが興福寺です。有名な東大寺に負けず劣らず、大きな寺です。入り口で御朱印帳を買いました。それぞれの寺には御朱印なるものが存在し、それらを書き収めてもらうためのノートのようなものです。以前、おばあちゃんが持っているのを見てほしいなと思ったので買いました。早速、興福寺の御朱印をもらうために列に並ぶと、僕の御朱印帳が手帳タイプ(長方形で薄い)であるのに対して、隣にいたおじさんやおばさんの御朱印帳は巻物タイプ(丸くて分厚いロールケーキ)でした。僕のは手帳タイプなのに、「どうして?」と思い、思わず「巻物?」と声に出してしまいました。それに気づいたおじさんがこちらを振り返ると、おじさんはお札が張り付きまくったような仰々しい首飾りをつけて、僕にこういいました。「お兄さんの持っている御朱印帳を全部集めたら、巻物をゲットできますよ。巻物を集めたら、次の巻物に行けますよ。それぞれに位があり、私は大先達です。」
僕が「レベルアップということですか?」と尋ねると、「そういうことですね。ちなみに、大先達になるには先達、中先達をクリアする必要があります。大先達の上は特任先達で、特任先達の上にも位が存在します。」と教えてくれました。「終わりが見えません。」と僕が言うと、「そうです。終わりはありません。人生とは長い修行なのです。修行を続けていくことが人生なのです。」といわれました。
これからの長い人生が修行だなんて、とてもつらいと思いました。これから何十年もの間、僕は死ぬまで修行を続けるのです。その第一歩を今日踏み出したばかりなのです。
興福寺には、五重塔もありました。ここから先は立ち入り禁止を意味する木の柵に「うんこ」と落書きされていました。人生とは修行なのです。これすらも修行なのです。

第2話 奈良公園
奈良公園は敷地面積が広大で畏怖の感情が生じました。一緒に来た友達にこんな敷地があったら、何する?と聞くと、ドリフトしまくるといっていて、怖さが消えました。奈良公園には等間隔にシカが散布していました。楽して餌をもらおうとする姿にイラついて、「楽して餌をもらおうとするな。どっかいけ。」と𠮟りました。シカに厳しく。しかし、シカは想像以上に大きく、反抗期を迎えた息子を叱る父のように、強く叱るに叱れない状況です。公園ではシカせんべいを押し売りされ、購入せざるを得ませんでした。買った瞬間に7匹くらいのシカに囲まれて、恐ろしかったです。僕が子供だったら、泣いていたと思います。シカは、どこまでも追いかけてきました。走るシカもいて、怖かったです。足がまあまあ速くて嫌でした。追いつけるのに追いつかない感じが嫌でした。ステップを駆使してシカの大群をよけて、公園を突破しました。突破したころにはせんべいは残りわずかになってしまいました。せんべいがなくなると、全部のシカが僕の周りから解散しました。1匹近くで寝ころんだのでケツを触ると、「フンッッ」といわれました。怖かったけど、フワフワでした。それからは幼い子供に群がるシカを注意したり、サビたチェーンにかじりついたりするシカを説教しました。多くのシカは言うことを聞いてくれました。1匹のでかいオスシカがいきなり目の前で、交尾を2秒した後、ウンチをして、2足で立ち上がって、木の枝についているはっぱを食べました。僕は「おいっ」といいました。いろいろなシカがいましたが、小さくて太ったシカが可愛くてフワフワでした。

第3話 東大寺
門をくぐり歩いていると、等間隔にシカがいます。シカだと思ってみると、犬だったりもしました。シカだと思ってみると、人間の子供だったこともありました。東大寺の入場料は600円。地元民だったら払わない。
中に入って、大仏を拝見しました。やっぱりとても大きくて、何かがすうっと抜けていくような心地よさを感じました。大仏の右手の開いた形には「恐れる必要はない」という意味があり、左手のお盆のような手の形には「夢を叶える」という意味があります。「恐れるな。夢はかなう。」大仏は僕にそう教えてくれました。

第4話 法隆寺
日本最古の木造建築群である法隆寺とその周辺の建築物は奈良のはずれにあります。入場料は1500円と高くて、1パチだったら1500発撃てます。
ここにはもうシカはいません。あるのは国宝ばかりです。国宝や重要文化財しかないので、それらの価値が薄くなってしまいます。しかし、人間国宝は現在112名生存しており、国宝がいかに素晴らしいかよく思い出させてくれます。吉沢亮は「国宝級イケメン」ではありますが、人間国宝ではないのです。技術は続いていくことを最古の建物を見て、知りました。寒くて、手の感覚がなくなりました。聖徳太子が言った「和を以て貴しとなす」を僕はできているのだろうか。

第5話 奈良へ
奈良という歴史の町に来てみて、気づいた。きっと僕の足元には無限の数の死体が眠っている。そういったものの上に、今僕たちは立っている。シカに説教をした僕は「勇気」も「恋愛」も「絆」も一つも知らない。王道より邪道を好み、ひねくれた目でこの世を見ている人間だ。
なぜ人は生まれるのか。単に死にたくないからなのだろうか。そのためにすがるものとして多くの宗教が生まれ歴史的建造物が建てられてきたのだろうか。人はなぜ生まれるのだろうか。人生は修行である。修行のためなのか。わからないけど、自分だけは正しいと思える答えを見つけたい。懐かしくて、少し泣きそうになった。奈良。夕飯にはちゃんこ鍋を食べた、熱くてうまくて感動した。帰り道、シカの糞をたくさん踏んだ。全部ばかばかしくなった。何にもなくて卑怯な凡人だけど、あとはもう死ぬだけなんてことはないと思った。全部と出会って、全部がつながればいいと思った。


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