A.B.C-Zの雨ニモ負ケ-Zを見た

見ようと思えたんです。今なら大丈夫だと思って。

先に第三弾から見て、第一弾、第二弾と見ました。

なんともなかったかと言われたら嘘になるけど、思ったほどの衝撃を受けなかったです。津波の映像も見れていて。

どちらかというと岩手と向き合うA.B.C-Zに引き込まれていました。地元の人と触れ合う彼らが温かくて。視線や握手から人の良さがにじみでていました。

誇らしかった。この人たちを応援していてよかったと改めて思います。

8年、9年たった岩手は、苦しくなるくらい瓦礫の散らばる景色から、確実に進んでいました。その事実はこの番組を見なければ知り得なかったこと。この番組にA.B.C-Zが携わってくれて本当に感謝しています。ありがとう。

A.B.C-Zが復興の番組に出ることを知ったときは運命かと思う反面、苦しかった。当時はちっとも見れると思っていなかったから。

でも、A.B.C-Zのことを人としてどんどん好きになっていって、自分の調子も良くて、物理的な時間もたった今だからこそ、こんなに穏やかに見れたんだろうな。




この先は私の被災経験を少し。大したことは書いていませんが、気になる方は自衛お願いします。



2011年3月11日14時46分。

私は福島県にいた。一時的な訪問だったが、そこで被災した。

家に帰れるまで4日はかかった。

地震が起きてから2日後、経由した宇都宮駅。この時間で止まってしまった時計を今でもはっきり覚えている。


この経験で心に傷を負った、なんて言ったらおこがましいが、私の敏感な感情は限界を超えてしまっていた。

震災関連の映像や情報で涙が出るようになり、津波の映像は見れなくなった。そして自分でも徹底的に避けていった。

怖かったんだ。たくさんの人の命を奪った、抗えない自然の脅威が。



今でも緊急地震速報は記憶のスイッチを押してしまう

揺れた直後の謎に降ってきた雪、遠くでの爆発音、終わらない余震。

歪んだガードレール、消えた信号、くぼんだ道路。

津波があったことは翌日の号外を見るまで知らなかった。




そんな経験をしたけれど、私は今、生きている。本当にありがたい。奇跡。

だから懸命に生きる。私らしく、自分の好きなことに正直に。







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