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辺境のオーバー・ザ・サン偏狂感想日記 Ep.57

2021.10.29アップの回。個人的神回の一つ。

持ち上げた、その先に

冒頭でのショパコンのお話から、"我、思うことあり"なお話に、自分も思うことありとなった気持ちが下記の通りに噴出してしまいました。
書きながら私の頭の中には、今年開催されたある球技のW杯がありました。
”そんなに知らないのに、すごい知ってるみたいにいうテレビの中の人たち”が苦手なことに、激しく同意です。
自分の知ってるフィールドに持ち込んで話そうとしているのだろうけど、全く的を射てないので聞くに耐えない。仕事とはいえ。そこに愛はあるんか?
その物事に愛と知識と熱量がある方を解説に呼んでくださっているのは全肯定ですが、レギュラーだかなんだかで居座って犬もくわないような茶々をいれられるはあまり快くない。だったらコメンテーターなしの司会&解説だけのコーナーにして欲しい…。

この流れでもう一つ疑問に思っていることを吐露させてください。
メディアで周知するということは、宣伝をしてより広く知ってもらう接点を作ることであり、波及した効果によってその競技に還元されていくものがあるのは分かっているつもりではある。
メディアに出ることでファンを増やす以外にも選手に経済的な支援が出来ているのならとても良いと思う。
だが、練習や休息や色々と他にやりたいこともあるだろう選手関係者の皆さんを試合後数日に渡って高頻度で出演させる中で、競技と全く関係のないプライベート情報を報じることって欠かすことのできない必須事項なのだろうか…?

見なければいいという話ですが(もちろん衝突しないよう忍者並みの身のこなしで避けていますが)、偶像化してきて、手のひら返しがお得意のメディアノリが好きにはなれないんだなぁ。

念通企画会議2021

スー研究員、美香研究員のトレンド予測分析めちゃくちゃ興味深かった。
メディア系の講義専攻していたら、これだ課題設定されそう。

予測

もっとふんわりしたものになっていく。ランク王国もいつのまにか終わっていたし!
キュレーターの方が組んだ展示を楽しむ感覚とでもいうのでしょうか。

・誰が強いだとかには興味がなくなってきている。
・良い街、住みたい街ランキングに興味がなくなってきている(人それぞれ、指向性)。
私はこれと決めない、ランク付けで絞らなければいけないってことはある意味でメディアの立ち位置を悩ませることになるのか?
皆がこれを見て、皆が同じ生活をして、皆が同じ好みだからこのランキングが活きるというのがなくなってくるのか?

分析

・対象の中で優劣を決めるという興味の喪失。
・我々が多様であるから故、誰かが決めたランキングにはあまり共感ができない。

32:45〜 スー研究員まとめ

キャッチコピーとしてのランキングが機能しなくなったら、ランキングは何のために残っていくのだろうか?
→その商品自体のファンが伸びていく。納得し、応援する意義や価値があると判断されたストーリーがあるところに人がついていく?
個人商店に強みがある時代へ。
予測・分析は尽きませんね…。

お便りから

そして、本回のちゃこぱんださんのメールで、今も続くスンス企画が萌芽したという!天才の天啓!

のど自慢という分野

ぽちまるさんのメールに対するお二人の会話がとても良く、心に残った箇所を引用させて頂くと…

スーさん:ランキングに対する興味が失せたと同時にもちろん男女公平にして生まれ持った属性は変えられないと言う物で差別を受けたり不均衡になったりとか、役割が固定されて決められたりとかは絶対やめた方がいいんだけど、ただそれをあまりに追求していくことによって、自分が元々持っている属性をどうやって楽しむかが分からなくなってしまう。
美香さん:そこで私が見て欲しいのは、「のど自慢」。

45:50〜

実家で毎週日曜に必ず流れていましたが、近年は離れてしまっていた「のど自慢」を、美香さんの仰る「それぞれが〇〇であることを楽しみ、誰一人上手く歌うことは二の次である」という視点で見たことはありませんでした…!Serendipity…!
技術を発揮して、この街から世のスターになるという登竜門かと思ってた…。
老若男女が、この街で自分であることを楽しんでいる、それでいいんだなぁと。

まとめ

一生懸命な人、頑張っている人、楽しそうな人を見るのが楽しい!
楽しい人を見ているのは楽しい。
熱意のある人を見ているのは楽しい。
衒(てら)いのない人を見ているのは楽しい。
(衒い=「自分の才能や知識を見せびらかすこと」もしくは「才能が知識があるようにふるまうこと」を意味する表現)



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