見出し画像

3.11 感謝と祈り

なんだか、最近変な感じが増しているジェニーです

私は歌が大好きで、一日一回笑うと共に、一日一回歌うってルールを自分にかしているんだけれど

私が好きな歌は、ジャンルがバラバラで

一番ライブとか、長く聴き続けているのはブルーハーツとハイロウズとクロマニヨンズなのですが

小さい頃は、演歌も歌謡曲もアニソンも歌っていたし、聴いていたし、観ていた

昭和生まれなので、古き良き時代の名残も体感しているし、むしろ現代の薄っぺらいシステマチックなオートマチックなテクニカルなヒットソングがビジネスシンガーが違和感でしょうがない


歴史は繰り返すと言うよりも、現代の浅い薄いファストファッションやファストカルチャーの中で、古き良き時代の歌も文化もネットに情報があれば、若い世代にも知られることになり、良いものは良いって分かるし、新しい世代の子のほうが感性が繊細な分、感覚でどハマりするんだと思う


いや、30年前だって、若者ってのはそう言うもんだ

14歳、
誰もが、感受性高く、生涯に渡って胸をときめかせるものに出会う
確率の高い年齢


(と、私は確信している)


そんなことより、違和感の話に戻します


つまり、最近、昭和と令和とのギャップの中で、二極化しているというか、

古い時代の良い部分はとっっっっっても良いから今でも色褪せない、むしろ、
凄さが際立って、評価がますます上がっていって

例えば、鳥山明氏
御多分に洩れず、私もアラレちゃん世代、鳥山明の何が凄いのかも分からずに、
当たり前に観ていた
がっちゃんかわいいなーとか、話が面白いなーとか、
大人んなって、いや、最近になってようやく凄さに気づく
改めて読んだアラレちゃん、ペンギン村の細かいとこまでセンスが光る
古き良きアメリカ文化と配色
ロボットも、発明品も、ちゃんとかわいい、ちゃんと血が通っている、
ちゃんと生き物になっている

子供だましなデザイン、ではなくて、
かといって、適当にSF要素を取り入れたんでもなくて、

鳥山明氏が、多分、変態なまでにアメリカ文化や、メカとか大好きで、
漫画、アニメに愛があってこそ、
情熱があってこそ、想いが、精神が、
物騒ながらも平和な、理不尽ながらも許せる人間ぽい作品にしたのだと思う


いろんなものや、事や、人も、効率化、スピード重視で、簡略化されて、
それでも、無理して品質を保ってきた世代があって、
いつの間にか、無理が効かなくなって、
それでも、どこかで誰かがカバーして、隠して、皺寄せを喰らいながらも、
世の中や、社会や、政治や、国や、誰かや何かや神様のせいにしながらも、
踏ん張って、頑張って、
もう、未来には真っ黒い闇が見えているのに、そこに向かって頑張って、
死に物狂いでしがみついて、
崖っぷちで針の筵で、火だるまで、雷に打たれながら生きて、
ボロボロで、崩れたのに、倒れて、蝕まれて、腐って、廃れて、廃人化して、
それなのに、責任は自分にあると言われる


古い価値観、古い決まり、古いやり方、古い伝統、
もう崩れてきている

新しい価値観、新しい決まり、新しいやり方、新しい改革、
新しいだけで、心がない、愛がない、人間味がない

そんなの、改善じゃない、進歩じゃない、成長じゃない


あれだ、これだ、それだ!って、今の情報はどんどん過ぎていく、
置いていかれないように、遅れを取らないようにって、
焦りと不安と心配と恐怖を与えられていることに気づかない

そんなのなんの得でもない
そんなの、なんのメリットもない
なんの、価値もない


昭和や、昔の、ものや、事や、人が良かったのは、
ちゃんと分かっているから
そのものに、宿る魂が、作り手が使う人を想っている

今は、コンピューターが計算して、売上が見込めるから生産される

すごい
速い
コスパもタイパも良いのかもしれない

でも浅い

何も感じない

今の自動車も、家電も、家も、家具も、大量生産のもの
あまりに死んでる


安くて可愛くて便利なのは嬉しいけれど

あまりに多過ぎる


そんなに要らない


歌も、ドラマも、映画も、アニメも、エンタメも、
そんなに要らない


サービスも、営業も、商品も、そんなに要らない


それなのに、足りないって言う
人手不足って言う
生産が追いつかないって言う


不要と過剰のアンバランスさ


不景気だとか、倒産だとか、大量廃棄問題とか、そりゃそうだろ


要らないもの、無くせば、
ちゃんと、要るところに要るものが、要る分だけ、与えられる

無駄に作らなきゃいい話

無駄に不安にさせて、無駄に煽って、無駄に買わせて、無駄に持たせる


昭和以前、物が少なかった時代
心が豊かだった
頭が聡明だった
身体が丈夫だった

そもそも、お金がなくても、生きてきた

知恵があって、恵みがあって、循環があった


動物も、虫も、お天道様も、水も、空気も、火も、星も、月も、
全てが共に生きて、共に支えあって、お互いの声を聴いていた


ネットも、AIも、
主役じゃない


3.11でさえ、能登半島の震災でさえ、ビジネスになる狂った世界

けれども、その中で、確かに、人と人がつながって、
自然と生き物に敬意を持って、
今ここで本来の自分を「生きる」ということを見直す人もいる


小さなことでいい


今の自分が、生きている、生きていられるのはなぜなのか
私が猫のために生きていることを
誰も知らなくてもいい

自分のために生きられないって思ってしまう時

猫が助けてくれる

もっともっと本当は、感謝がたくさんある


救われたことが何度もある


ありがとうって想ったことが何度もある


人に対して、優しくなれない時もある


でも、動物に優しくしている人がいると、心の底から、身体の全部でありがとうって思う


カーリースの審査も通らない私だけれど、きっと大丈夫
もっといい方法がある
もっといい解決策が私に来るって思えるかどうか


まずは無職から脱却する


底辺から、1センチ登る


本来の私を活かす生き方をするんだ


と、
最終的にレベルの低いオチになってしまったことをお詫びいたします


それでも、今日も、
すべての人類と生き物の平和を、幸せを祈ります


ではまたっ♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?