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『人生論ノート』 ー希望についてー

あなたにとって希望とはなんですか?あの娘と付き合いたいとか、あの学校に入りたいとか、あの職業に就きたいとかそういったものでしょうか。三木はこう言います。

自分の希望はFという女と結婚することである。自分の希望はVという町に住むことである。自分の希望はPという地位を得ることである。等々。人はこのように語っている。しかし何故にそれが希望であるのか。それは、欲望というものでないのか。目的というものではないだろうか。あるいは期待というものではないだろうか。
                     人生論ノート 希望について

厳しい問いかけです。しかし逆に考えるとそれらがかなわないからといって私たちは絶望することはないのではないでしょうか。結婚した人、住んでいる土地、職業についたことは運命だと受け入れることも私たちには許されているのですから、個々の希望は失われても、絶望する必要はないのです。

個々の内容の希望は失われることが多いだろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。
                     人生論ノート 希望について

では本来の希望とはなんでしょうか。

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているということは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるということは、この形成が無からの形成という意味を持っていることに依るであろう。
                     人生論ノート 希望について

虚無からの形成の背景には、なんらかの目的がある。目的がなければ形成は起こらない。それが希望なのだ。そしてその希望は生きている限りだれからもうばわれることがない。この文章を読んでそんな印象を持ちました。

もし一切が保証されているならば希望というものはないであろう。
                     人生論ノート 希望について

世界が不確実であるから希望もあるのです。このあと三木は人は賭け事に熱中するのは不安や恐怖によって希望を刺激するためだとも書いています。人間は不確実なことを求める欲求が心の底にあるのかもしれません。言い換えになるかもしれませんが次のようにも書いています。

人生問題の解決の鍵は確実性の新しい基準を発見することにあるように思われる。
                     人生論ノート 希望について

わたくしごとですが、一年前に健康診断で芳しくない診断が出てきました。その診断が本当なら少しお休みしなければならないような内容でした。結果はその診断が間違いだったので良かったのですが、そんな不安なときよく聞いていた歌があります。

すばらしい日々だ 力溢れ
すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を忘れるから
その頃にはすぐに君に会いに行ける
                    ユニコーン「すばらしい日々」

世界は混沌としているかもしれない、それはもう絶望するくらいに。しかし、そうであったとしても、むしろそうであるからこそ生きる意味があるのだと。そして、どんな状況であっても何者からも希望を奪い去られることができないことは、なんて大きな喜びであるのかと感じます。

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