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『人生論ノート』 ー娯楽についてー

娯楽と言えるものがあふれているますね。私なども、家に帰ってくれば、youtubeで音楽を聴いて、面白そうな雑誌をkindleで買って読み、100de名著を見て楽しむ。平日は大体こんな感じで過ごしています。

さて、三木は人生論ノートで娯楽についてどのようにいっているかみてみましょう。

娯楽というのは簡単に定義すると他の仕方における生活である。
                     人生論ノート 娯楽について

かつての社会では娯楽とは宗教的なものを意味していた。そのため、他の高い秩序と結びついていたが、現代の娯楽は働いている時間に対する遊んでいる時間、享楽的な活動を意味することとなった。と三木を言います。三木はこのような娯楽のあり方を是としているわけではありません。

娯楽が生活となり生活が娯楽にならなければならない。生活と娯楽とが人格的統一に齎(もたら)されることがひつようである。生活を楽しむということ、従って幸福というものがその際の根本の観念でなければならぬ。
(中略)
娯楽は生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。単にみることによって楽しむのでなく、作ることによって楽しむのである。
                     人生論ノート 娯楽について

生活か娯楽かという2者択一的な話ではなく、そもそも生活も娯楽も目的が人格的統一を目指さなければよくないということだと思います。たかだか、娯楽や趣味について生産的、創造的でなものであらねばならぬというのは、要求がかなり高いのではと思わされますが、他者の幸福なしに真の幸福はないという幸福の際の議論と同様の議論を楽しみにおいても行っているのではないのでしょうか。

さて、三木が娯楽として唯一信頼しているものがあります。

今日娯楽と言われるものの持っている唯一の意義は生理的なものである。(中略)だから私は今日娯楽と言われるもののうち体操とスポーツだけは信用することができる。
                     人生論ノート 娯楽について

このあと、娯楽は衛生であり、そしてそれは身体の衛生であるのみでなく精神の衛生でなければならないと書いてもいます。日々のいそがしい生活の中で健康であることは担保しづらいですからね。運動は大切です。何事も体が資本です。三木はかなり健康に気を使っており、健康についてという独立した章を立てて健康について述べています。

ちなみに三木は娯楽と対をなす生活についてこのように述べています。

生活を楽しむものはリアリストでなければならぬ。しかしそのリアリズムは技術のリアリズムでなければならない。即ち生活の技術の尖端にはつねにイマジネーションがなければならない。あらゆる小さな事柄に至るまで、工夫と発明が必要である。(中略)真に生活を楽しむには、生活において発明的であること、とりわけ新しい生活意欲を発明することが大切である。
                     人生論ノート 娯楽について

三木は生活を楽しむためにはあらゆる小さな事柄に至るまで工夫と発明が必要であると説いています。これもまた、実践の哲学者三木清の言葉だなといった感じです。また、新しい生活意欲ということばは戦時中の世相を反映したものですが、非常に今日的なことばにも映ります。

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