「うらみ」と「ムラ」の分配

嫉妬とはすべての人間が神の前の平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。
               三木清 ー人生論ノートー 嫉妬について

三木清の言葉ですが、人が集まれば人は人に嫉妬したり「うらみ」を持ったりします。さて、日本人は長い歴史のなかで河合の言う「うらみ」とどう対処してきたのでしょうか。きだみのるの書いた「にっぽん部落」のなかにそのヒントが書かれていたので紹介したいと思います。

きだは日本の社会的集団のなかでもっとも小さい単位である「ムラ」に注目し、「ムラ」の住民の感じ方、考え方、やり方を調べれば、より上位集団のの考え方の解明に役立つものがあるのではと考えました。

「ムラ」(部落)は、10軒程度の家の寄り合いです。その単位で一つにまとまっており、それぞれに世話役がいて、食料の分配等を行っています。そして「ムラ」の人たちはそれぞれの「ムラ」に帰属感があるということです。(10軒程度というのは「ムラ」の世話役がまとめることができる人数の最大値がだいたいこのくらいだそうです。)

さて村人の「うらみ」をひき起こさないように「ムラ」で行われていた方法、それは徹底して平等な分配を行うことでした。例としてきだは多くの村で行われていた伐採した木をどのようにして分配したかを挙げています。村人が伐採した木は枝と幹に分けます。ただ、わけるわけではなく枝も幹も燃えやすいもの種類、燃えにくい種類にわけ、目方を使って分配します。それでも、細かい違いがあるので、参加者はくじによって順番を決めます。

このようなルールが生まれたののは村人がみな公正な性格であるというよりは、むしろ村人がそれぞれの欲望を牽制しあった結果、このような平等主義が生まれたのであるときだはいいます。また、分配する側も今まであったルールに従うことで村人から恨みを買うリスクが低くなるときだは言っています。この意味では、村人は指導者ではなく伝統に服従しているといえます。

このような背景から、部落で生活する中では、みな平等だという並列的な考え方が発達します。例として村人たちはご祝儀を貰ったらそのくらいの金額をきちんと返したり、議会へ出す人間を持ち回りで担当したり、田んぼを荒らされたから、ほかの家の田んぼを荒らそうという行動をとったりするのです。

※田んぼあらしの話は本文中に出てきます。自分の家のじゃがいもがぬすまれたので、犯人はわからないけれども、とりあえず畑を同様にあらすことによって気持ちを晴らすのです。同様な話として、自転車がパンクしていたので、ほかの人の自転車をパンクさせた人の話が出てきています。(意味不明です)

部落には4つの掟があると言われています。刃傷はするな、他人の家を燃やすな、盗人するな、ムラの恥を外に漏らすな。これを破ると村八分に合いますが、これさえ守ってさえいれば、村人はきわめて平等な分配のシステムのなかにいることができます。(「ムラ」の閉鎖性というのは最後の4番目の掟と密接に関係すると思われます。本書を読んでいると、「ムラ」の内部に入ってしまうと逆に4番目の掟がきいて、村の内部においてはうらみを買うことさえ注意すれば自由な部分もあるように見えます。)

分配の原資が貧しいものであればこの方法は破綻してしまうのでしょうけれども、日本は比較的土地が肥沃であったため、分配の原資が確保され、不自由な部分もあるものの、このような不条理なほどの平等な原則にたった分配に皆が従ったのだと考えられます。

このようにして「ムラ」は日本人の和をもって尊しとなし、あるいは出る杭は打たれるとする社会制度を育んでいったと考えられます。しかし、近代化の後私たちは「ムラ」からでて生活するようになりました。現在、「ムラ」にかわって分配の調整をの役割行うのは「会社」や「国」あるいは「組合」「自治会」といったところでしょうか。当然のことながら、かつての「ムラ」で行われていた平等な分配を期待することはできません。(規模が大きすぎ顔が見えないことが原因だと思います。)

窮屈だと思われる「ムラ」からでることによって私たちは不平等感を強く感じることになりました。不平等感はうらみを発生させます。私たち日本人は「ムラ」に変わって個々人が「うらみ」の克服に取り組まなければいけない時代に変わってきたのかもしれません。言い換えると「うらみ」の克服は近代日本人の課題ともいうことが言えるのではないのでしょうか。

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