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昼休みの食堂にて

「あの・・お弁当は売り切れですか?」
「はい・・・」
店員に一応の確認をしてみた。おかず確認用のメニューが出されていない場合、お弁当は売り切れを示している。お弁当のメニューが今ひとつだったり、売り切れていたりする場合、頼むメニューはこの食堂で一番うまいと思うカレーと決まっているのだが、なにぶん月曜日だ。これから3日連続くらいで売り切れだったり、メニューがいまいちだったりすることもあるかもしれない。かといって他のメニューの天ぷらそばや塩ラーメンもいまいち食べたい気分にならない。冷やし中華がでていればと思ったけれどまだ出していないらしい。

「じゃあ・・・カレーで」
食堂のカレーは昔ながらのカレーだ。カレーうどんにのっているようなカレーと表現するのが良いのだろうか。特徴としては10cm大のジャガイモが半玉分必ず入っていて、これが非常においしい。トレイにカレーとともにサラダと味噌汁が添えられる。最近始まったサービスだ。コップに水をついで3点セットともに席に着く。

スマホでnoteを見てみると、#私らしいはたらき方とある。今ひとつピンとこなかった。あえて逆の言葉を考える。私らしくない余暇の過ごし方?。昼は友人とスポーツで汗を流し、夜はその足で合コンだかキャバクラだかに行く。そんなところだろうか。それもそれでピンとこないな。カレーとご飯が混和していない境目の部分から食べ始める。

余暇の場合、外力や強制力が働かないこそ余暇は一見「自律的」で「私らしい」のだと思う。ということは「私らしい」仕事というのは外力や強制力が働かない「自律的」な意思によるものということなのか。コップの冷水を一口飲む。

「私らしくない」という言葉は「私らしい」という言葉を意識した裏返しの言葉ととらえれば、そんなに意味的に遠くないのかもしれない。だとすれば「私らしい」の反対は「誰でもできる」という言葉かもしれない。そういう意味では「私らしい」というのは「誰にもマネのできない」という意味にも映る。

カレーを少し食べた後、サラダを食べる。ラーメンよりちょっと地味だけれど、カレーは国民食だと思う。特にこういったカレーは。多分お昼にカレーを食べるというのはすごくありきたりのことだ。さらに今日はお弁当が売り切れだったという事情がある。少々不本意ではあるがカレーを食べることになった。

ふと思うのだけれど、こうやって不本意ながらありきたりなカレーを食べる私は「私らしく」無いのだろうか。ラーメンを食べているのが「私らしい」のかもしれないし、天ぷらそばを食べているのが「私らしい」のかもしれない。あるいは食堂では昼飯を買わず売店で昼飯代わりを買うのが「私らしい」のかもしれない。けれど、そんなもの正解なんてないと思う。

残り半分を切ったカレーの上で大きめのジャガイモをスプーンで2つに割った。そんな私は紛れもなく「私である」。「私らしく」はないのかもしれないけれど「私である」のだ。そのことは紛れもないことだろう。

思い通りいかないこともあるし、こんな仕事だれだってできると思うような仕事をすることもある。本当に向いていないなって思うこともある。当然失敗をすることのある。「私らしい」自分とは異なるかもしれない。けれど、そんな仕事をしているのは間違いなく「私である」のだ。

お昼を職場の食堂の弁当が売り切れてしまったため、平凡にカレーで昼食をすませている「私である」私以外に「世界」から見れば「私らしい」私はいないのだろう。ラーメンを食べる私も、天ぷらそばを食べる私もこの「世界」には存在しない。「世界」に存在しない私をどうして「私らしい」といえるのだろう。

つまらないことを考えてしまった。昼休みが大体あと5分くらいで終わる。カレーを返却口に下げて、食堂のおばちゃんにごちそうさまといい、自販機の前で午後に備え飲み物を選ぶ。個人的にはこの瞬間が職場で一番悩んでいる時間だ。強いていえば、これが#私らしいはたらき方と言えるだろうか。コーヒーは若干きつい気がして、つめたい紅茶を選択して午後の仕事に向かった。

#エッセイ #昼休み #カレー