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2020/12/30

昨日は友人と適切な距離を保った軽い飲み会をやってからピットインへ。

ドルフィーで板オケやったあとに「楽器持っておいでよ」と林さんに言われたのを真に受けて古いヤマハを担いで。


懸案だった貰い物の寝袋と折りたたみ自転車用背負子で運ぶとすごく楽。

一部は鑑賞。オーケストラ編成、豊かでいいなあ。とても緻密。

二部の途中、組曲の途中トロンボーンやっさんのソロの時に会場後ろから吹きながら入場。
夢中だったので、どのように見られていたかなどは、全くわからない。

みんなの音の中に入られて、幸せでした。
客席で聞くのもいいけどやっぱりステージで聞く生音は最高だ。
そしてそこに音を重ねられる。
感激。

初めて林栄一さんをナマで聴いたのは神戸でのソロライブ、アルトサックスの完全なソロを聴くのも生まれて初めてだった。
どうすればこんな事が出来るんだ、衝撃だった。
20代半ばで東京長期滞在した時はライブに通ったら「楽器持っておいでよ」と言ってくれたのが、昨日と同じだった。

あの頃20数年前は本当に何も分からず出来ず、そんなバカな若者をニコニコしながら呼んでくれて、その時代には多くの年上の人達がそうしてくれて、それで自分の今があります(しかもtubaですよ俺)。
「おいでよ」この一言でほぼ全てが報われる。楽器を始めて、続けてきて本当によかったなあと実感します。

なので自分は自分より年若い人たちには、自分達がしてもらった様に、機会を作り場を開く義務があると思っている。今は何も出来なくても、いつか何かが出来るように。
思えば僕が初めて林さんと言葉を交わした時、林さんは今の僕位の年齢なんだなあ。あの頃はちゃんと共演できるなんて想像できなかった。

ただがむしゃらに、音楽がやりたい、もっと、という気持ちは今もあまり変わらない。
でも自分も年を経た。
僕は子供を作ることは無かったけど、音楽の可能性を拡げる遺伝子を残す、という意味では、演奏を通じて「家族を持つ」という気持ちで
音楽を続けています。

音楽で関係するって、何か他に言い表せない人間関係で、友人友達とも呼べるしそうなる人ならない人もいて、それでも何か凄く特殊で特別な結びつき、替え難い繋がりなんですよね。
特に私達の様に、一人一人が独立した音楽家同士だと。そうした関係を持てるというのが、とても嬉しいです。

それにしてもよく飲んだ!飲みすぎだ!
これもまたピットインを感じる。

終電に飛び乗ったのだが、非常に珍しく電車で寝過ごして終点津田沼まで来てしまった。
途中までケチって歩いて、限界を感じ(楽器あった)少しタクシーに乗ってメーターを見て払えるとこまででおろしてもらった。

寒風のなかトボトボ歩いていると、またしても嬉しさが込み上げてきて「林さんに呼んでもらったんだ!」と伝えると「アンタ、20何年か前にも全く同じことを言いに来たよ」と言われた。

そうか。年食ったとはいえ、オレなんにも変わってないな。嬉しくてたまらないんだから。

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