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最近のこと(2023年5月19日の日記)

・一週間ほど画像と一言のみの日記になってしまいました。

・そういう路線になったわけではなく、ちょうど一週間前に祖父が突然亡くなり、今日までばたばたしていたのと、とてもではないけど普段の気の抜けた日記を書いているような精神状態ではなかった。でも更新を途絶えさせるのも何となく嫌だったので(あとで更新が無かった期間のことを思い出した時にセットで祖父の死が思い出されるのが嫌だった)、過去の写真をランダムに投稿していました。そんな状態でも見てくださった皆さん、♡をつけてくれた皆さん、ありがとうございました。


・正直まだ全然立ち直れていない。お寺と都合が合わなかったので、亡くなったのは一週間前にも関わらず葬儀の一切が終わって荼毘に付されたのは昨日だった。その間祖父の体は葬儀場の部屋に安置されていたため、通常よりも長くお別れの時間があったとは思う。それでもまだ祖父のいない現実を受け止め切れていないのが実際のところだ。この日記にはあまり暗い気持ちを書かないようにしていたけど、こればかりは茶化すこともできないので、ふとした時に涙が出るほどには落ち込んでいると明言する。

・朝起きても、もう祖父はこの世のどこにもいない。これまでも日記上で死について書いたことが何度かあったけど、わたしは全然わかっていなかったのかもしれない。

・今回も備忘録として、下書きにこれまで思ったことを書けるだけ書いていた。今後気持ちの整理がついたら記録として公開するかもしれないし、しないかもしれない。

・普段の日記ぽいことを少し書くとすると、やはり悲しい気持ちと涙は直結しているんだなと思った。これまであまりそこが繋がっていることを強く意識したことはなかったし、物心がついてからはあまり泣いていなかったので、感情と生理現象がつながっている実感がなかった。あいつら全然裏で手を組んでいましたわ。

・祖父のことが大好きだったけど、その気持ちに伴った行動をしていなかったことが一番の後悔だ。高齢ではあったし病気もしていたので、いつこうなってもおかしくない状態ではあった。少し考えればわかることだったのに、わたしは自分のことでいっぱいいっぱいのふりをして、まだ大丈夫だろうと楽観視していた。家からは1時間半くらいの場所だから大して遠くもないが、多くて盆と正月の年2回。そもそも盆に実家へ行くことも減っていたので(別日に行っていた)、年1回行くのがほとんどだった。

・この数年が、祖父に会う時間を極限に削ってまでも何か生産性のある年月だったのかと考えてしまう。日記が書けなかったのも、こんなことに費やす時間を祖父に充てることはできなかったのかと思うと手が動かなかった。日記に限らず、わたしの余暇活動全般に対してその思考が広がってしまい何もできなくなっていた。あの日ごろごろしていたり、ドンキーコングをやっていた時にも祖父はまだ生きていたのに、と。しかし祖父はそんな理由でわたしが無気力になることを絶対に望んではいないと思うので、明日からは普段通りに日記を再開します。おそらく。

・わたしは生前の祖父に何もできなかった。この後悔はずっと残るだろう。何もできなかったのだから、そもこうして後悔することも烏滸がましいのかもしれない。悲しんでいる自分に酔っているだけなのかもしれない。

・祖父は善人だったから、死後の世界がもしあるとするならば、きっと正しく天国か浄土へ行けると思う。こういう前向きで清らかなことを言うのはまったく性に合ってはいないが、同じ場所に行けるように生きなければならない。時間が気持ちをおさめてくれるまで、今はそう思って祖父のいない世を生きるしかない。

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