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押し込めていたものが、はじけた。そして...

まいにち、マスク。
手洗いうがい。
ソーシャルディスタンス。
検温。それも、1日に何度も。

外出は家の近所と仕事場のみ。
外食にも、ホントはすごく行きたいけれど、行かない。行けない。飲食業の方には本当に申し訳ないのだけれど、私の職業柄、リスクマネジメントの観点から、どうしても。

私が体調を崩してはならない。絶対に。
子ども、家族のため。
そして、仕事場で会う沢山の高齢者にうつすようなことがあっては、決して、ならないから。

マスクの中でも、声を押し殺すような、誰にも聞こえないくらいに小さな音で息を吸って吐く。

我慢、我慢、我慢。
どんどんと高く壁が積み重なってゆく。


そしてやはり年末年始は両親たちにも会えなかった。

まるで自分の存在を消すかのように生きる。

...そんな息の詰まる生活が1年。
そんな1年が終わってゆく。
多分、結婚後初めて紅白も正月番組も自宅で見るという状態になった。家から出ず、出られずに、初詣も時期と時間をずらして。

誰とも会えない、会っても近づけない。
仕事柄、とにかく気をつかうから、言われている以上にいろんなものから距離を取ってきた。
身体だけでなく、何故だか心も。

そんな年明け。

はじけてしまった。
バチン!と大きな音を立てて。

きっかけはとあるドラマの再放送だった。
そしてその後にそのドラマの新作が放送されていた。
すごく見たい!絶対に見る!という気持ちや気合いは実はあまりなく、なんとなく録画して、見ていた。軽い気持ちで。

ところが、その作品には、私が今まで押し込めてきた、人間らしい感情、我慢していた、人であるために必要な触れ合い、そんなものが沢山描かれていたのである。

うわーっと感情が爆発した。
切なくて、嬉しくて、優しくて、恋しくて、いろんな気持ちが心を渦巻いた。

そのドラマに出ている俳優さんの、あるいは監督をされてる方の他の作品もダーっと止めどなく見てしまった。いつもなら、そんなに映画やドラマなんて見ないのに。

とんでもない、数である。
もう、止められない。

出ている俳優さんのいろんなコラムやエッセイもひたすら読んだ。
音楽も聴いた。ラジオも聴いた。
中高生以来の、まさかの深夜ラジオである。懐かしくて、心の拠り所になっていた、深夜ラジオ。

よみがえった。
寂しい思いをしていた中高生の頃の自分が。
身体は老いても、心がまるで何十年もタイムスリップしたかのように、その時のみずみずしい感情に、ピタリと重なって、戻れたのである。

それと同時に、なんだか自分のことをすごく肯定されているような気持ちになったのだ。

頑張って、押し殺して、息を潜めて、危ないことにならぬように色々制約を課していきているこの一年間の自分も。

よく頑張っているね、疲れたよね。
でもね、心まで押し込めなくても良いんだよ。

そんなふうに優しく毛布をかけてもらえた気持ち。
ついでに、寂しくて暗くてもう二度と戻りたくない、あの中高生の頃の自分でさえも、それを否定しなくて良い、それがあってからこそのあなたなのだよ、と言われているように。

なんだか書くのが難しいのだが、ドラマをきっかけにして、音楽、文章、ラジオと、いろんな作品たちに、押し殺してパンパンになっていた身体や気持ちをそんなふうに労ってもらえたのである。

なんとも言えぬ、不思議な感覚であった。
バチン!と弾けた瞬間に、気持ちよくふわりふわりと宙を浮くように。

まだその余韻が抜けず、ちょっと頭がボーッとしている感覚は、ある。

もちろん仕事や日々の生活の、我慢はまだ続いているし、気を緩めたりはしていないつもりだ。
でも、すごく前より、楽である。

いいの、これでいいの。

無理矢理締め付けたり、あるいは無理矢理急浮上しなくても、いいの。

色々理不尽なこともある。
いや、理不尽なことだらけで、この世はできている。

先の見えない日々は、続く。
でも私が私である根底の部分が見えて、感情が溢れて、それを一旦受け止めたから、なんかもうちょっと大丈夫な気がする。


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