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”生まれる”ことに賛同してみる

いつの間にか、この地球を生きていた。
いつの日か、生まれて、
いくつもの時を経て、今、生きてる。

生まれる前はどこにいたのかわからないけれど、
生まれる場所もからだも知ってたのかな。
そんな記憶はないからね、
なんとなく生まれて、なんとなく生きてるような心持ちで。
なんとなくにしては、多様な人生よ。

もしいつかのどこかの”私みたいなもの”が、
”生まれる”と決めてきたのだとしたら、
それはそれはパワーのいることで、
きっと強い想いがあったのでしょう。

なんとなく生かされている私は、
ここを生きていく怖さも知ってしまったけれど、
"こんなふうになりたくなかった"なんていう、人間の抵抗を諦めてみれば、
”生まれてきた私”の心の奥に、”よろこび”が確かにあるはずだ。

だからこの人生に身を委ねて、
今、ここに居る人間としての私も、”生まれる”ことに賛同してみる。

生まれたくて生まれてきたのだ。と、
ほんの少しでも思えたのならば、
なんとなく生かされてきた旅路も、微かな力強さを帯びる。

”今日をどんな風に生きようか”

生きるぞ!みたいな気合は少し大袈裟かもしれないし、
生きてみよっか♪くらいな、ゆるい光を持って、
今日も、明日も、生きてみよっか♪

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